ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孫士毅」の意味・わかりやすい解説
孫士毅
そんしき
Sun Shi-yi; Sun Shih-i
[没]嘉慶1(1796).四川,西陽
中国,清朝の官僚。浙江省仁和の人。字は智治。号は補山。諡は文靖。乾隆 26 (1761) 年に進士となるまで貧苦のため苦労を続けた。傅恒 (ふこう) のビルマ遠征に加わって才を認められ,同 35年に貴州督学,広西布政使などを歴任,同 44年,雲南巡撫のときに免職されイリ (伊犂) に追放されたが,やがて許されて翰林院に任じられた。のちに山東布政使,広西巡撫を経て,同 50年に両広総督となったが,彼の背後には時の権臣和しんがあったともいう。こののちに台湾の林爽文の反乱,ベトナムの阮氏の反乱,グルカの討伐,ミヤオ (苗) 族の討伐など乾隆帝の多くの平定戦争に参加した。のちに白蓮教の乱の平定に従事しているとき病没した。その著作に『百一山房文集・奏議』がある。
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