コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

再洗礼派 さいせんれいはAnabaptists

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

再洗礼派
さいせんれいは
Anabaptists

原語はギリシア語 anabaptizōに由来し,「再洗礼をする」意味。宗教改革の時代,非自覚的な幼児洗礼を非聖書的とみなして,洗礼志願者にあらためて洗礼を施したプロテスタントの一宗派に与えられた通称。この派は種々に分れるが,自覚的な信仰告白ののちに行われる洗礼こそ唯一の洗礼と主張して,プロテスタントの最左翼に位置した。そのおもなグループは,(1) 1521年ウィッテンベルクに現れたミュンツァーツウィッカウのもとに集ったもの,(2) 無抵抗を唱えたスイス兄弟団,(3) フッター指導下に財産共有制生活を築いた一団,(4) 仮現的キリスト論,千年王国論を教理とするホフマン派,(5) ミュンスターに聖徒の王国を築こうとしたミュンスター派,(6) メノー派,である。これらの行動は一切の国家権力の干渉を否定するなど,あまりにも過激なのでカトリック側からだけでなく,プロテスタント側からも排撃され,現在フッター派およびメノー派がわずかに残存するだけである。しかし,この派の思想は現在バプテスト派に生きている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

再洗礼派【さいせんれいは】

ドイツ語Anabaptistなどの訳語。宗教改革時代,幼児洗礼を無効とし,成人後自覚的な信仰告白ののち受洗すべきことを説いたプロテスタント急進派の総称。本来,反対派による蔑称で,幼児洗礼の否定と強い反教権的志向を除けば共通点は少ない。
→関連項目洗礼バプティストメノー派

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

さいせんれいは【再洗礼派 Wiedertäufer[ドイツ]】

宗教改革に伴って出現した多様な急進派の中で,幼児洗礼を否定し成人洗礼を行ったいくつかの教派。再洗礼派の呼称は,成人洗礼を行うことに対し,反対派が用いた蔑称で,1度しか行ってはならない洗礼を2度行った者という意味で,アナバプティストAnabaptistとも呼ばれる。これらの教派は,強烈な反教権的反体制的志向にもとづく成人洗礼の実施という点で共通性をもつだけで,それぞれ発生場所,教義,組織・運動形態を異にし,影響し合うこともあったが,むしろ対立することが多かった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

さいせんれいは【再洗礼派】

一六世紀スイス・オーストリア・ドイツ・オランダを中心に出現したキリスト教急進派の総称。宗教改革思想を徹底し幼児洗礼を否定したため弾圧され、多くはアメリカ大陸に移住。フッタライト派・メノナイト派など。アナバプティスト。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

再洗礼派
さいせんれいは
Anabaptist英語
Wiedertuferドイツ語

プロテスタントの一派。ギリシア語anabaptizo(再洗礼する)に由来し、アナバプティストともいう。スイスの宗教改革者ツウィングリの指導のもとにチューリヒ宗教改革が進展するにつれて、ツウィングリの信奉者の一部に、改革の不徹底さを問題とし、より根元的な変革を求める者たちが現れた。K・グレーベルKonrad Grebel(1498ころ―1526)やF・マンツFelix Mantz(1480ころ―1527)らであるが、彼らは、福音(ふくいん)主義教会が依然として俗権の保護のもとにあるのは、宗教改革原理と矛盾すると主張し、自発的信仰に基づく少数者の教会の再現をもって改革の徹底と考えた。彼らは不徹底さの象徴を幼児洗礼にみいだし、その廃止と自覚的信仰告白による成人洗礼を提唱・実施した(1525)。チューリヒ当局は、再洗礼を禁ずる古いローマ帝国法を根拠として極刑をもって臨んだ。
 福音主義改革をもって不十分とし、その徹底化を求める動きは同時に各地で生起した。それは、教会に対する国家権力の介入に強く反発し、しばしば社会的にも急進的な運動を起こすなどさまざまの形をとったが、ドイツ、スイス、オーストリアなどで弾圧を被り、最後に1534~35年のミュンスターの乱(再洗礼派が拠点としたドイツ西部の司教都市ミュンスターで起きた反乱)で爆発し、惨劇をもって終わった。以後、再洗礼派の名は反体制暴力革命と結び付けられてきたが、最近になって彼らが一般的には聖書の教説を忠実に再現しようとした真摯(しんし)な人々であったとの評価が下されるようになった。今日のメノナイトは直接の子孫である。[出村 彰]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の再洗礼派の言及

【宗教改革】より

… ツウィングリの改革運動も,信徒の共同体たる教会と市民共同体としての都市の権力を結合した点で,一種の領域主義を追求するものであったから,これに不満な人々は,純粋な聖徒共同体の理念を掲げて,幼児洗礼を否認し,当局の弾圧でスイスを追われた。これが再洗礼派というセクトのおこりである。あたかもドイツ農民戦争の時期に,再洗礼派はドイツに入り込み,農民や小市民が主たる担い手となってネーデルラントなどにも広がったが,ルター派は,この運動を〈狂信派〉の急進主義と同一視し,きびしい迫害を加えた。…

【フート】より

…ドイツの再洗礼派の指導者の一人で,影響は南部・中部ドイツ,オーストリアに及ぶ。フランケンの小村に生まれ,書籍行商を主職とする。…

【プロテスタンティズム】より

…中世では瞑想的な修道生活とほとんど等置されていた〈禁欲〉が,今や勤労生活の良心的な自己規制そのものへと拡大解釈され,M.ウェーバーが《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》などの著作で指摘するごとく,信仰に基礎づけられた一種の合理主義的エートスを発展させることとなる。再洗礼派をはじめとするプロテスタントの諸分派の中でも,このような禁欲主義は強調され,世俗労働の成果を通じてまことの信仰を確証しつつ,生活全体の〈聖化〉を目ざす努力がみられた。このように,プロテスタンティズムは,西欧キリスト教会における職業労働の積極的評価をうながし,経済社会の意味における近代的な市民社会の形成に,生活意識の面で,大いに貢献するところがあったのである。…

【ミュンスター】より

…市参事会は〈エルプメナーErbmänner〉と称する都市貴族が独占していたが,14世紀から形成された手工業諸ギルドは15世紀初頭,ゲマインデ代表機関たる全ギルド会議を結成,1430年市参事会に対し共同統治権を獲得,15世紀中葉二つのフェーデを通じて力を増し,ギルドの名士たち(ホノラツィオーレンHonoratioren)が市参事会の席を多数占めるようになる。再洗礼派王国(1534‐35)後,市は自治権を奪われ,全ギルド会議を解体されるが,やがて復活,三十年戦争中あまり被害を受けず,ウェストファリア講和会議の場の一つとなる。しかし司教クリストフは市の自立強化を恐れ,1661年長い包囲後降伏させ,市の諸特権を奪い経済的没落に導く。…

【ミュンスター再洗礼派王国】より

…北ドイツの都市ミュンスターにおいて,都市宗教改革運動の一環として展開された運動。1533年初頭,司教から宗教改革公認を獲得するが,説教師ロートマンBernhard Rothmann(1495ころ‐?)の指導下で激化し,34年2月再洗礼派が合法的に市権力を掌握する。他方,ネーデルラントで迫害されていたメルヒオル派再洗礼派はミュンスターを新エルサレムとみなし大挙流入してきた。…

※「再洗礼派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

再洗礼派の関連キーワードフィリップ・フォン・ヘッセンミュンスター再洗礼派王国三十九ヵ条の信仰告白愛国党[オランダ]プロテスタント教会ポーランド同胞教団カールシュタットフープマイヤーフープマイアーメノナイト派アーミッシュ信仰覚醒運動万物帰新説至福千年説ホーフマン静寂主義兵役拒否福音主義フート

今日のキーワード

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android