守屋庸庵(読み)もりや ようあん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守屋庸庵」の解説

守屋庸庵 もりや-ようあん

1831-1909 幕末-明治時代の蘭方医
天保(てんぽう)2年7月8日生まれ。弘化(こうか)4年大坂にでて緒方洪庵適塾でまなび,郷里備中(びっちゅう)(岡山県)にかえって足守除痘館主任として種痘をおこなう。のち紀伊(きい)平山(和歌山県)の春林軒塾で外科軟膏(なんこう)製造術をおさめた。明治42年10月21日死去。79歳。本姓石原。字(あざな)は惟通。通称は朴平。号は如竹。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む