安久津八幡神社(読み)あくつはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「安久津八幡神社」の解説

安久津八幡神社
あくつはちまんじんじや

[現在地名]高畠町安久津

二井宿にいじゆく街道沿いの安久津集落の中心にあり、鳥居前から東に続く二井宿街道町並を通称鳥居とりい町という。法人名は八幡神社で、祭神は誉田別命ほか一一柱。旧郷社。西の成島なるしま八幡(現米沢市)に対し東の八幡と称されている。創祀年代は不明だが、貞観二年(八六〇)円仁の創建と伝える阿弥陀堂を前身とし、康平年間(一〇五八―六五)源義家が、前九年の役・後三年の役の戦勝報賽として鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を勧請したと伝える。また義家から源氏縁故の地として三千石の神領寄進を受け、大江長井氏・伊達氏の時代にもそれを維持してきたとも伝えている。弘長三年(一二六三)能海・堪海の二人は、「屋代庄八幡宮」で三周義釈・教相義釈を各々書写しているが(「三周義釈末文奥書」・「教相義釈奥書」金沢文庫古文書)、この八幡宮は当社のこととみられるので、義家との関係はともかく、鎌倉時代に屋代やしろ庄の庄鎮守的存在としてあったことは確かなようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む