朝日日本歴史人物事典 「安倍兄雄」の解説
安倍兄雄
生年:生年不詳
平安前期の官人。無位道守の子。中衛少将,右京大夫を経て大同2(807)年山陰道,翌3年畿内,次いで東山道のそれぞれ観察使を歴任,この間国司交代を円滑に行うため不与解由状に前任者と後任者の言い分を書いて上申することを提案している。「職務には公廉であった」という評価もそうした実績をふまえてのことであろう。『日本後紀』によれば犬を好み,文よりは武にたけた人物で,意固地なところもあったようだ。大同2年の伊予親王事件では平城天皇の怒りの激しさに群臣がしりごみするなかで,ただひとり親王の潔白を述べて平城を諫め,その態度は人々の称賛を得たという。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報