奈良時代、寺院の建築装飾や仏画の制作に従事する画師(えし)たちの勤務する役所のことで、701年(大宝1)に公布された大宝令(たいほうりょう)以来中務(なかつかさ)省に属し定められていた。職員令(しょくいんりょう)によると、画工司の長として絵事彩色などのことをつかさどる正(かみ)が1人、その下に事務をつかさどる者として佑(すけ)1人、令人(さかん)1人がおり、技術家として画師4人、画部(えかきべ)60人が置かれることになっていた。官位令によると、画工の正は正六位の上階、画工の佑は従(じゅ)七位の下階、画工の令人は大初位(だいそい)の上階(正九位)、画師もこの令人に準じたものであったらしい。
画師、画工の仕事はさらに分業化され、塗白土(下地の白土塗り)、木画(素描の下がき)、彩色、堺(さかい)(仕上げの線がき)、検見(けみ)などの名称がつけられている。この技術者の集団は、帰化人系や日本人で技術を身につけた人たちからなっていたようで、8世紀奈良時代に入って官立の諸大寺の造立が盛んになるとともにその数は激増していったが、9世紀平安時代に入ると、808年(大同3)に漆部司(うるしべのつかさ)とともに内匠(たくみ)寮に合併されて縮小され、やがて機構の改変により宮廷画所(えどころ)となっていく。
[永井信一]
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…やがて,官営事業が活発になると,あらたに倭(やまと),高麗(こま),簀秦(すはた),河内などの画師姓諸氏族が活躍するようになる。8世紀初期に律令制が整備されると,中務省内に官営の絵画制作機構としての画工司(えだくみのつかさ)が設置された。この官司は,事務官としての正(かみ),佐(すけ),令史(さかん)各1人のほか,技芸官として画師4人と画部(えかきべ)60人,雑務職員の使部16人と直丁1人を擁していた。…
…また,その工房を組織する絵師をもさす。8世紀の初期に律令制が整備されると,中務省内に図書寮などとともに,画工司(えだくみのつかさ)が当時の公的な絵画制作の機関として設けられた。だが,この時期の大規模な国営事業に際して編成された令制外の造営官司に,〈絵所〉と記す作業工房の存在したことが《正倉院文書》によって知られる。…
※「画工司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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