衛門府(読み)エモンフ

デジタル大辞泉 「衛門府」の意味・読み・例文・類語

えもん‐ふ〔ヱモン‐〕【衛門府】

律令制の官司の一。宮城諸門の警備、部署の巡検行幸の先駆けなどにあたった。大同3年(808)左右衛士府えじふ併合弘仁2年(811)左右衛門府となった。職員は、多く検非違使けびいしを兼任した。靫負司ゆげいのつかさ

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精選版 日本国語大辞典 「衛門府」の意味・読み・例文・類語

えもん‐ふヱモン‥【衛門府】

  1. 〘 名詞 〙 令制の官司の一つ。宮城諸門を警衛し、その開閉、通行の検察をし、また隼人司(はやとのつかさ)を管した。督(かみ)、佐(すけ)、大尉(だいじょう)二人、少尉(しょうじょう)二人、大志(だいさかん)二人、少志(しょうさかん)二人のほか、門部(かどべ)二〇〇人、物部三〇人などが置かれていた。のち、大同三年(八〇八)衛門府を左右衛士府に併合し、さらに弘仁二年(八一一)これを左右衛門府と改称した。その職員は多く検非違使を兼任して、訴訟、犯罪の検断に当たった。衛門。靫負府(ゆげいふ)。〔令義解(718)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「衛門府」の意味・わかりやすい解説

衛門府 (えもんふ)

日本古代の中央軍事機構としての衛府の一つ。大宝・養老令制では左右衛士府,左右兵衛府とともに五衛府を形成した。その成立は701年(大宝1)ころとみられる。督,佐,大尉,少尉,大志,少志などの官人があり,大化前代の靫負(ゆげい)の系譜をひく門部200人と,農民出身の衛士とが武力として配置され,また刑罰執行にあたる物部30人も所属した。衛門府衛士の数は時に応じて増減があり,741年(天平13)には200人を加置,805年(延暦24)には400人から300人に減員した。宮門(中門)・宮城門(外門)の守衛,出入りする人物・資財の点検を主たる職務とし,また隼人司を管した。758年(天平宝字2)司門衛と改称したが,764年旧に復した。808年(大同3)左右衛士府に併されたが,811年(弘仁2)には左右衛士府を左右衛門府と改称,左右近衛,左右兵衛4府と並ぶ六衛府制の一環としての左右衛門府が成立した。平安初期の衛門府官人は警固使,追捕使(ついぶし)などとして活躍,やがてこの官人を中心に,中央の警察機構としての検非違使(けびいし)が発展していった。
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百科事典マイペディア 「衛門府」の意味・わかりやすい解説

衛門府【えもんふ】

令制下の軍隊である衛府(えふ)の一つ(五衛府)。和訓は〈ゆげいのつかさ〉。職掌は宮門(中門)・宮城門(外門)の守衛,通行可能な者を記した門籍,同じく品名などを記した門【ぼう】(もんぼう)を扱うほか,隼人(はやと)司を管轄した。職員は督(かみ)・佐(すけ)各1人,大尉(だいじょう)・少尉・大志(だいさかん)・少志各2人ほか。758年司門衛(しもんえ)と改称(764年復旧),808年左右衛士府(えじふ)に併合,811年左右衛士府が左右衛門府と改称(六衛府)。→追捕使検非違使

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「衛門府」の意味・わかりやすい解説

衛門府
えもんふ

五衛府の一つ。和名「ゆげいのつかさ」。武力は門部(かどべ)200、物部(もののべ)30、衛士数百。隼人(はやと)司を管掌し、衛門、隼人、門の出入の管理にあたった。衛門、門の出入の管理は、大宝律令(たいほうりつりょう)(701)直前には宮守官があたっており、衛門府の成立はそれ以降であろう。

[野田嶺志]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「衛門府」の解説

衛門府
えもんふ

大宝・養老令に規定された衛府の一つ。養老令によれば督(かみ)・佐(すけ)・大尉・少尉・大志・少志の四等官がおり,その下に門部(かどべ)200人,物部(もののべ)30人,衛士(えじ)らが所属,また隼人司(はやとのつかさ)が属した。職務は宮門・宮城門を禁衛し,出入りを検察することなどである。758~764年(天平宝字2~8)の藤原仲麻呂による官号改称では司門衛(しもんえい)といった。808年(大同3)廃止,左右衛士府に併合されたが,811年(弘仁2)左右衛士府は左右衛門府と改称され,後世まで存続した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「衛門府」の意味・わかりやすい解説

衛門府
えもんふ

古代,禁中の守衛,諸門の開閉などを司った役所。大宝令の兵制では1衛門であったが,弘仁2 (811) 年,左右の2衛門府となった。 (→衛府 )  

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旺文社日本史事典 三訂版 「衛門府」の解説

衛門府
えもんふ

律令制下,五衛府の一つ
宮城門の警備にあたったが,808年左右衛士府に合併された。

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世界大百科事典(旧版)内の衛門府の言及

【衛府】より

…中国では魏・晋のころから発達し,唐では天子十六衛,東宮十率府があった。日本では大化改新後,中国にならって制度が整備され,旧来の舎人(とねり)の伝統をうけつぐ兵衛,衛士をひきいる左右衛士府,衛士と旧来の靫負(ゆげい)の伝統をうけつぐ門部とからなる衛門府などがあいついで生まれ,701年(大宝1)までに衛門府,左右衛士府,左右兵衛府からなる令制の五衛府が成立した。五衛府の兵力の主体は農民出身の衛士であるが,宮内の宿直,閤門(内門)の守衛など重要な職務は,地方豪族,下級官人層出身の兵衛が担当した。…

※「衛門府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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