衛門府(読み)えもんふ

  • ▽衛門府
  • えもんふ ヱモン‥
  • えもんふ〔ヱモン〕

百科事典マイペディアの解説

令制下の軍隊である衛府(えふ)の一つ(五衛府)。和訓は〈ゆげいのつかさ〉。職掌は宮門(中門)・宮城門(外門)の守衛,通行可能な者を記した門籍,同じく品名などを記した門【ぼう】(もんぼう)を扱うほか,隼人(はやと)司を管轄した。職員は(かみ)・(すけ)各1人,大尉(だいじょう)・少尉大志(だいさかん)・少志各2人ほか。758年司門衛(しもんえ)と改称(764年復旧),808年左右衛士府(えじふ)に併合,811年左右衛士府が左右衛門府と改称(六衛府)。→追捕使検非違使

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世界大百科事典 第2版の解説

日本古代の中央軍事機構としての衛府の一つ。大宝・養老令制では左右衛士府,左右兵衛府とともに五衛府を形成した。その成立は701年(大宝1)ころとみられる。督,佐,大尉,少尉,大志,少志などの官人があり,大化前代靫負(ゆげい)の系譜をひく門部200人と,農民出身の衛士とが武力として配置され,また刑罰執行にあたる物部30人も所属した。衛門府衛士の数は時に応じて増減があり,741年(天平13)には200人を加置,805年(延暦24)には400人から300人に減員した。

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大辞林 第三版の解説

律令制の官名で、六衛府ろくえふの一。衛士を率いて宮城諸門の警護・開閉を行い、行幸の際に供奉ぐぶする武官の役所。左右の二衛門府があった。靫負司ゆげいのつかさ。金吾。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

五衛府の一つ。和名「ゆげいのつかさ」。武力は門部(かどべ)200、物部(もののべ)30、衛士数百。隼人(はやと)司を管掌し、衛門、隼人、門の出入の管理にあたった。衛門、門の出入の管理は、大宝律令(たいほうりつりょう)(701)直前には宮守官があたっており、衛門府の成立はそれ以降であろう。[野田嶺志]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 令制の官司の一つ。宮城諸門を警衛し、その開閉、通行の検察をし、また隼人司(はやとのつかさ)を管した。督(かみ)、佐(すけ)、大尉(だいじょう)二人、少尉(しょうじょう)二人、大志(だいさかん)二人、少志(しょうさかん)二人のほか、門部(かどべ)二〇〇人、物部三〇人などが置かれていた。のち、大同三年(八〇八)衛門府を左右衛士府に併合し、さらに弘仁二年(八一一)これを左右衛門府と改称した。その職員は多く検非違使を兼任して、訴訟、犯罪の検断に当たった。衛門。靫負府(ゆげいふ)。〔令義解(718)〕

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

律令制下,五衛府の一つ
宮城門の警備にあたったが,808年左右衛士府に合併された。

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世界大百科事典内の衛門府の言及

【衛府】より

…中国では魏・晋のころから発達し,唐では天子十六衛,東宮十率府があった。日本では大化改新後,中国にならって制度が整備され,旧来の舎人(とねり)の伝統をうけつぐ兵衛,衛士をひきいる左右衛士府,衛士と旧来の靫負(ゆげい)の伝統をうけつぐ門部とからなる衛門府などがあいついで生まれ,701年(大宝1)までに衛門府,左右衛士府,左右兵衛府からなる令制の五衛府が成立した。五衛府の兵力の主体は農民出身の衛士であるが,宮内の宿直,閤門(内門)の守衛など重要な職務は,地方豪族,下級官人層出身の兵衛が担当した。…

※「衛門府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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