日本歴史地名大系 「安宅薬草園跡」の解説 安宅薬草園跡あたけやくそうえんあと 徳島県:徳島市徳島城下安宅安宅薬草園跡[現在地名]徳島市大和二丁目徳島藩によって安宅に設置された薬草園。藩営の薬草園は、徳島城内西の丸御花畠(おはなばたけ)薬園から始まり、下八万(しもはちまん)村恵解(えげ)御屋敷に移されたが、ほかに沖洲(おきのす)の医師学問所内庭と大岡(おおか)浦にもあった。薬草園では薬草のみならず、砂糖・雁皮紙・煙硝の栽培・製造をも行っていた。寛政一一年(一七九九)には「御薬園出来之薬品并自然生之品」は御用以外は市中または上方へ販売すること、「自然生之品」は持出ししだい医師学問所が買上げること、「薬品種苗類」は百姓の望みしだいで与えることと定められ、翌一二年には国中に自然に生じている薬用に使用できる草木は、以後沖洲浦医師学問所が製薬のため買上げることになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by