日本大百科全書(ニッポニカ) 「安志藩」の意味・わかりやすい解説
安志藩
あんじはん
播磨(はりま)国(兵庫県)宍粟(しそう)、佐用(さよ)、赤穂(あこう)3郡にまたがる1万石余を領有、居所を安志(姫路(ひめじ)市)とした譜代(ふだい)大名。藩主は豊前小倉(ぶぜんこくら)藩小笠原(おがさわら)家の分家筋。本家筋の小笠原長次(ながつぐ)は1632年(寛永9)播磨龍野(たつの)8万石から豊前中津に入封したが、その後1698年(元禄11)長胤(ながたね)のとき家中不取締りで所領を没収され、その子長円(ながのぶ)が中津4万石で再興。しかるに1716年(享保1)嗣子長邕(ししながさと)が幼没したため再度没収された。幕府は先祖の功をよみし、翌1717年、長邕の弟長興(ながおき)に改めて家名を復興させ、安志藩をたてた。長興のあと長逵(ながみち)、長為、長禎(ながよし)、長武、棟幹(むねもと)、貞孚(さだちか)と続き、廃藩置県(1871)に至った。
[小林 茂]