日本大百科全書(ニッポニカ) 「安松金右衛門」の意味・わかりやすい解説
安松金右衛門
やすまつきんえもん
(?―1686)
江戸前期の川越(かわごえ)藩家臣。播磨(はりま)国生まれ。名は吉実(よしざね)。幕府代官能勢四郎右衛門(のせしろうえもん)に推され1644年(正保1)川越藩藩主松平信綱(のぶつな)の家臣となり蔵米(くらまい)100俵を支給され、48年(慶安1)知行(ちぎょう)100石に直された。幕府が江戸の飲料水不足を解決するために玉川上水の造成を企画し、玉川庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)兄弟に請け負わせたが難航し、その後金右衛門の新設計により54年(承応3)完成。上水工事の総奉行(そうぶぎょう)松平信綱は玉川上水の分水を幕府に願い、金右衛門の指揮により翌年野火止(のびどめ)用水を藩領に引き、武蔵野(むさしの)台地の畑作開発を進め新田村落を造成した。金右衛門は58年(万治1)上野寛永寺修復御用元締(もとじめ)役を担当し100石を加増され、62年(寛文2)川越藩郡代となったが86年(貞享3)死去した。
[大舘右喜]