出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
老中で川越藩主の松平信綱が1655年(明暦1)幕府に願い,現東京都小平市の西端で玉川上水を分水して,武蔵国新座郡野火止村(現,埼玉県新座市)周辺の武蔵野畑作新田を開発するために引水した生活用水。信綱が家臣安松金右衛門に命じて引水した24kmの用水路で,引又(現,埼玉県志木市)を経て新河岸(しんがし)川へ落流していたが,1662年(寛文2)から掛樋(かけひ)(いろは樋(どい))で川をまたぎ,対岸の宗岡村(現,志木市)などの水田灌漑用水とした。平地を開削する土木工事が未熟で流水が困難であったことや,工事は夜間,提灯や線香の火によって測量したことなどが伝えられている。またいろは樋はいろは橋として地名に残る。かつての生活用水も1960年代以降,流域の都市化で汚染したが,関係地域で清流復活運動が進められ,一部が通水保全されている。
執筆者:大舘 右喜
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埼玉県南部、新座市(にいざし)野火止にあった用水。伊豆殿堀(いずどのぼり)ともよばれた。川越(かわごえ)城主松平伊豆守(いずのかみ)信綱(のぶつな)は1653年(承応2)野火止に新田集落をつくったが、この付近は地下水が深いので、飲料水や生活用水が不足した。このため、多摩川から江戸の飲料水として引いた玉川上水が1655年(明暦1)完成したのを機に、幕府から分水の許可を得て、家臣安松金右衛門(きんえもん)に命じ、多摩郡小川村(現、東京都小平(こだいら)市)付近で取水し、新河岸(しんがし)川に落ちる流長24キロメートルの用水を開削させた。以来約300年間利用されてきたこの用水は、都市化による汚染のため1973年(昭和48)分水が止められたが、清流復活事業により1984年、11年ぶりに一部通水が復活した。
[中山正民]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…武蔵野台地の北東部にあたる野火止(のびどめ)台地上に位置し,付近一帯は《和名抄》にいう新座(にいくら)郡の地で,市名もこれに由来する。川越藩主松平信綱が1655年(明暦1)玉川上水から野火止用水を分水してから野火止新田の開発も進んだ。市域北部の大和田は,江戸時代は柳瀬川の渡河点にあたり,川越街道の宿駅として伝馬の継立てを行った。…
※「野火止用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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