野火止用水(読み)ノビドメヨウスイ

デジタル大辞泉 「野火止用水」の意味・読み・例文・類語

のびどめ‐ようすい【野火止用水】

玉川上水から東京都小平市小川で取水し、埼玉県新座野火止を流れて、志木市新河岸川に注ぐ用水路。明暦元年(1655)開削され、長さ24キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「野火止用水」の意味・読み・例文・類語

のびどめ‐ようすい【野火止用水】

  1. 東京都と埼玉県にまたがる用水路の一つ。明暦元年(一六五五)玉川上水の分水としてつくられた。水路は小平市中島町から埼玉県新座市野火止を流れ、志木市で新河岸川に注ぐ。川越城主松平伊豆守信綱の領地飲料水灌漑用水として利用された。長さ二四キロメートル。伊豆殿堀とも。

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日本歴史地名大系 「野火止用水」の解説

野火止用水
のびどめようすい

野火止新田の飲料水として、多摩郡小川おがわ(現東京都小平市)玉川たまがわ上水から分水された用水。承応四年(一六五五)二月、川越藩主松平信綱家臣安松金右衛門吉実を奉行として開削に着手、同年三月完成した(榎本弥左衛門覚書)伊豆殿いずどの堀ともいう。承応二年、川越藩は玉川上水の開削開始と同時に野火止新田(野火止・菅沢・西堀・北野の四ヵ村)の開発に着手(同覚書)。新田は台地上にあって飲料水がなかったため、同三年の同上水完成の翌年には分水の野火止用水を開削した。用水は現東京都小平市・東村山市・東久留米市域を北東流しているが、野火止新田に流れ至るまでは利用されなかった(のち天明二年入間郡大垈村で水車に利用)

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改訂新版 世界大百科事典 「野火止用水」の意味・わかりやすい解説

野火止用水 (のびどめようすい)

老中で川越藩主の松平信綱が1655年(明暦1)幕府に願い,現東京都小平市の西端で玉川上水を分水して,武蔵国新座郡野火止村(現,埼玉県新座市)周辺の武蔵野畑作新田を開発するために引水した生活用水。信綱が家臣安松金右衛門に命じて引水した24kmの用水路で,引又(現,埼玉県志木市)を経て新河岸(しんがし)川へ落流していたが,1662年(寛文2)から掛樋(かけひ)(いろは樋(どい))で川をまたぎ,対岸の宗岡村(現,志木市)などの水田灌漑用水とした。平地を開削する土木工事が未熟で流水が困難であったことや,工事は夜間,提灯や線香の火によって測量したことなどが伝えられている。またいろは樋はいろは橋として地名に残る。かつての生活用水も1960年代以降,流域の都市化で汚染したが,関係地域で清流復活運動が進められ,一部が通水保全されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野火止用水」の意味・わかりやすい解説

野火止用水
のびどめようすい

埼玉県南部、新座市(にいざし)野火止にあった用水。伊豆殿堀(いずどのぼり)ともよばれた。川越(かわごえ)城主松平伊豆守(いずのかみ)信綱(のぶつな)は1653年(承応2)野火止に新田集落をつくったが、この付近は地下水が深いので、飲料水や生活用水が不足した。このため、多摩川から江戸の飲料水として引いた玉川上水が1655年(明暦1)完成したのを機に、幕府から分水の許可を得て、家臣安松金右衛門(きんえもん)に命じ、多摩郡小川村(現、東京都小平(こだいら)市)付近で取水し、新河岸(しんがし)川に落ちる流長24キロメートルの用水を開削させた。以来約300年間利用されてきたこの用水は、都市化による汚染のため1973年(昭和48)分水が止められたが、清流復活事業により1984年、11年ぶりに一部通水が復活した。

[中山正民]

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百科事典マイペディア 「野火止用水」の意味・わかりやすい解説

野火止用水【のびどめようすい】

現在の埼玉県新座(にいざ)市にあった野火止新田の飲料水として使用された用水。1655年2月に老中で川越藩主の松平信綱が江戸幕府に願い出て開削を開始,現在の東京都小平市の西端で玉川上水を分水し,同年3月完成。全長約25km,玉川上水から分水した最古の用水で,上水の約3割を取水,新田開発にも使用された。第2次大戦後の宅地化などで汚染が進み,1973年には水不足で玉川上水からの分水が止められたが,現在清流化の運動が進められている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野火止用水」の意味・わかりやすい解説

野火止用水
のびどめようすい

別称伊豆殿堀。埼玉県南部にある江戸時代前期の灌漑用水路の一つ。玉川上水の水を小平市中島町の西から導水,新座市野火止原を通り,志木で新河岸川に注ぐ。全長 25km,幅約 1m。承応4 (1655) 年川越城主松平信綱 (伊豆守) が幕府の許可を得て,住民の飲料水,灌漑用水,雑用水の供給,付近一帯の開発を目的に家臣の安松金右衛門に命じて開削。水路の完成で北部武蔵野に新田ができた。 1973年周辺の都市化,水事情の悪化等のため流れがとだえたが,東京都の施策により 1984年清流が復活した。

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事典・日本の観光資源 「野火止用水」の解説

野火止用水

(埼玉県新座市)
荒川をめぐる旅100選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の野火止用水の言及

【新座[市]】より

…武蔵野台地の北東部にあたる野火止(のびどめ)台地上に位置し,付近一帯は《和名抄》にいう新座(にいくら)郡の地で,市名もこれに由来する。川越藩主松平信綱が1655年(明暦1)玉川上水から野火止用水を分水してから野火止新田の開発も進んだ。市域北部の大和田は,江戸時代は柳瀬川の渡河点にあたり,川越街道の宿駅として伝馬の継立てを行った。…

※「野火止用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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