日本歴史地名大系 「安部村」の解説 安部村あぶむら 沖縄県:沖縄島北部名護市安部村[現在地名]名護市安部(あぶ)久志(くし)間切の中央部東寄り、大浦(おおうら)湾の北端に位置し、西は汀間(ていーま)村。集落はナートゥガー(安部川)の東側、海岸近くの砂地に立地する。ギミ崎と安部(あぶ)崎・安部(あぶ)オール島が美しい馬蹄形の入江を作る。集落は北西の上之島(ういぬしま)から下の海岸部に移動してきたという。間切所属の変遷は大浦(うぷら)村と同じ。正保国絵図に「ぎみ崎」がみえる。絵図郷村帳に名護(なぐ)間切「あぶ村」とみえる。琉球国高究帳でも同様に記され、高頭八九石余、うち田七〇石余(うち永代荒地一九石余)・畠一九石余。「琉球国由来記」では安部村と記され、汀間ノロが管轄する神アシアゲがみえるが、御嶽の記載はない。現在の拝所は、故地の上之島、北のカミヤマ、集落背後のクシントー、集落内の北寄りの神アサギ・根神屋、鬼の面を保管するウニホーヤーなどで、拝井泉としてクバガー、イジミガー、マチンガーがある。 安部村あべむら 三重県:安芸郡安濃町安部村[現在地名]安濃町安部経(きよう)ヶ峰東麓の緩斜面の山間部にあり、草生(くさわ)村の南にあたる。集落は村域の東部、大谷(おおたに)川左岸にある。文明七年(一四七五)一二月四日旦那売券添状(米良文書)に「六貫文 伊勢国あのゝ郡あへ之庄」の記載がみえる。「安部庄」についてはほかに所見がないが、隣村の草生村の辺りが永保二年(一〇八二)五月一〇日大和国崇敬寺牒(「三国地志」所収)によって、崇敬(すうきよう)寺の荘園であったことが知られ、その崇敬寺は安倍寺と通称されることから、「あへ之庄」とは安倍寺の荘園と考えられる。 安部村あべむら 千葉県:袖ケ浦市安部村[現在地名]袖ケ浦市阿部(あべ)堂谷(どうやつ)村の南、小櫃(おびつ)川左岸に位置する。阿部とも記される。応永一八年(一四一一)九月二〇日の称名寺領畔蒜庄横田郷検田帳案(覚園寺文書)に「散在あへ ひこ三郎内了観口入」とみえ、近藤三郎の所領であったが、闕所地として金沢称名(かねさわしようみよう)寺(現神奈川県横浜市金沢区)の検注を受け、畠一五〇歩が新たに領主によって把握され、畠六反半・分銭一貫三〇〇文とされた。名主了観の口添えによって「いちは」(市場)の住人ひこ三郎の内者が耕作している。同二三年九月二日の畔蒜庄横田郷名寄帳(同文書)によれば「あへ名」は中沢・にへの地に田四反三三〇歩があり、「平せう しんしのせう」の二人が名請人であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報