宝塔院跡(読み)ほうとういんあと

日本歴史地名大系 「宝塔院跡」の解説

宝塔院跡
ほうとういんあと

[現在地名]吉野町大字吉野山

金峯きんぶ神社前の急坂から左に登りつめた右側、宝塔ヶ峯中腹にあった。飯高山安禅あんぜん寺、俗に吉野奥院ともいう。明治以前は金峯山きんぶせん寺満堂派として栄え、蔵王権現本尊とする安禅寺蔵王ざおう堂をはじめ、鐘楼・多宝塔・役行者母公廟所・奥院本堂・四方正面堂、山王七社・熊野三社・伊勢・多賀荒神弁天・八幡など諸社堂塔伽藍が、山腹の老杉の間にそびえていた(和州芳野山景勝図)。「吉野旧事記」や「金峯山創草記」には天台修験者相応が安禅寺を、報恩(一説に高算)が宝塔を建立したというが不詳。元弘二年(一三三二)一一月には護良親王(大塔宮)の吉野城総司令地となり、翌三年二月一日二階堂軍に焼かれた(「太平記」巻七など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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