宮ヶ崎村(読み)みやがさきむら

日本歴史地名大系 「宮ヶ崎村」の解説

宮ヶ崎村
みやがさきむら

[現在地名]茨城町宮ヶ崎

涸(ひ)沼の南岸にあり、西は海老沢(えびさわ)村。古代は「和名抄」に載る鹿島郡宮前(みやさき)郷の地といわれ、「新編常陸国誌」は当村は宮前郷の本郷で中世大掾氏の支族が住み、宮崎氏となったという。建武五年(一三三八)の軍忠状(烟田文書)に宮崎又太郎幹顕の名がみえる。


宮ヶ崎村
みやがさきむら

[現在地名]八郷町宮ヶ崎

北は真家(まいえ)村、南東は山崎(やまざき)村。正保期(一六四四―四八)以降山崎村から分村と伝え(新編常陸国誌)、寛文四年(一六六四)から牛久藩領であった。元禄郷帳の村高は二一五石余、幕末は牛久藩領分二一六石余(各村旧高簿)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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