20世紀日本人名事典 「宮下周」の解説
宮下 周
ミヤシタ イタル
- 生年
- 明治28(1895)年
- 没年
- 昭和45(1970)年10月17日
- 出生地
- 長野県小県郡浦里村(現・上田市)
- 学歴〔年〕
- 小県蚕業学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 信濃毎日新聞文化賞
- 経歴
- 郷里・小県郡浦里村役場に勤務し、書記や助役などを歴任。大正9年小林泰一らとともに信濃黎明会を結成し、長野の政治・教育・文化などの発展・改善を模索した。昭和2年長野県議に当選し、以後、終戦までの約20年に渡って在職。他方、4年に浦里村長となり、折からの農村不況の打開に尽力。経済改善委員会を設置して農村更正計画を実施し、8年には長野県の経済更正特別指定村に選ばれるなど着実な成果を上げた。また、14年全国に先駆けて村健康保険組合を設立。太平洋戦争中は大政翼賛会の長野県支部組織部長も兼任。戦後は政界から離れて県保育園連盟や県老人クラブ連合会などの会長を務めた。没後、信濃毎日新聞文化賞を受賞。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報