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日中戦争および太平洋戦争期の官製国民統合団体。日中戦争の長期化にともない,権力による国民の画一的組織化と戦争体制への動員が緊急の課題となり,第2次近衛文麿内閣は1940年7月26日〈基本国策要綱〉を閣議で決定し,〈国防国家体制〉樹立の方針を確定した。そして新体制運動の結果,全政党が解散し,10月12日大政翼賛会が結成された。翼賛会は〈国防国家体制〉の政治的中心組織として位置づけられ,〈大政翼賛の臣道実践〉をスローガンに大政翼賛運動を推進した。会の運営は多数決原理を廃止し,ナチスの指導者原理をまねた〈衆議統裁〉(衆議はつくすが最終決定は総裁が下す)方式によっておこなわれた。総裁は首相が兼任し(歴代総裁は近衛,東条英機,小磯国昭,鈴木貫太郎),事務総長以下の全役員の任免権を握り,中央本部には総務・組織・政策・企画・議会の5局と23部が置かれた。地方組織としては道府県・六大都市・郡・市区町村に各支部が置かれ,〈下情上通〉機関として中央に中央協力会議が,各段階の支部にそれぞれ協力会議が付置された。道府県支部長は,最初道府県の常務委員が職務を代行していたが,のちには知事が就任し,多くの郡市区町村支部長には町村長会の会長や市区町村長が指名された。これと並んで40年11月から41年1月にかけて,大日本産業報国会,大日本青少年団などの官製国民運動団体が翼賛会と内務官僚の指導のもとに結成された。
翼賛会の主導権は,当初近衛総裁を中心とする近衛側近グループが握っていたが,結成の前後から各政治集団による主導権争いが表面化した。この争いは翼賛会の性格論争(治安警察法にいう政事結社か公事結社か,総裁兼首相として近衛が権力を集中することは〈近衛幕府の再現〉であり国体に反するなどの論争)を中心に展開され,近衛側近グループ,軍部,革新官僚,革新右翼などが政事結社による一国一党論を主張したのに対し,観念右翼は翼賛会を公事結社として精神運動団体とすることを主張し,地方組織を握る内務官僚,経済新体制案に反発した財界,解党後議会局に押し込められた政党が観念右翼の翼賛会攻撃に便乗した。そのため翼賛会は,1941年2月公事結社と認定されて政治活動を禁止され,4月の第1回改組によって有馬頼寧事務総長らの近衛側近グループが退陣した。こうして翼賛会は,内務官僚と警察が主導権を握る上意下達の行政補助機関となった。ついで東条内閣は,42年1月16日大政翼賛運動の実践部隊として大日本翼賛壮年団を結成,4月30日には翼賛選挙を実施して翼賛議会体制を確立し,6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の官製国民運動6団体を翼賛会の傘下に統合し,8月14日には部落会・町内会の会長を翼賛会の世話役に,隣保班長・隣組長を世話人とすることを決定した。ここに翼賛会と地方行政組織の一体化が完成し,天皇制ファシズムが体制として確立した。
大政翼賛会は各種の国策協力運動を展開したが,太平洋戦争末期に本土決戦が近づくにつれ,45年6月13日に解散し,大日本産業報国会を除く他の傘下団体とともに国民義勇隊(1945年3月23日閣議決定された小学校卒業以上男子65歳以下,女子45歳以下からなる戦災復旧組織。必要に応じて兵役制が適用されることになっていたが,敗戦で8月21日解散された)へ発展的解消をとげた。
執筆者:木坂 順一郎
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日中戦争および太平洋戦争期の官製国民統合団体。近衛文麿(このえふみまろ)を中心とする新体制運動の結果、1940年(昭和15)10月12日に結成された。翼賛会は経済新体制(統制会)、勤労新体制(大日本産業報国会)と並ぶ「高度国防国家体制」の政治的中心組織であり、大政翼賛運動の推進組織として位置づけられた。「大政翼賛の臣道実践」という観念的スローガンを掲げ、衆議は尽くすが最終決定は総裁が下すという、ナチスの指導者原理をまねた「衆議統裁」方式を運営原則とし、総裁は首相が兼任(歴代総裁は近衛、東条英機(ひでき)、小磯国昭(こいそくにあき)、鈴木貫太郎)し、事務総長有馬頼寧(ありまよりやす)以下の全役員はすべて総裁の指名によって任命され、中央本部に総務、組織、政策、企画、議会の五局と23部が置かれた。地方行政区域に対応して支部が設置され、各支部長の多くは知事および市町村長が任命され、中央と地方組織のそれぞれに協力会議が付置された。しかし、軍部、内務官僚、財界、既成政党など支配層各グループはそれぞれ異なる思惑をもっており、呉越同舟的組織であった。そのため翼賛会は、結成直後から主導権争いが絶えず、1941年2月には公事結社と認定されて政治活動を禁止され、さらに4月までの間に有馬らの近衛側近グループが退陣させられ、内務官僚と警察が主導権を握る行政補助機関となっていった。
東条内閣は太平洋戦争の初戦の勝利の圧力を利用し、1942年4月翼賛選挙を実施して翼賛政治体制の確立を図るとともに、6月大日本産業報国会、農業報国連盟、商業報国会、日本海運報国団、大日本青少年団、大日本婦人会の官製国民運動六団体を翼賛会の傘下に収め、8月町内会と部落会に翼賛会の世話役(町内会長・部落会長兼任、約21万人)を、隣組に世話人(隣組長兼任、約154万人)を置くことを決定した。しかも町内会などの末端組織は生活必需品などの配給機構を兼ねており、全国民は日常生活まで内務官僚と警察の支配を受けることになった。ここに翼賛会体制=日本ファシズムの国民支配組織が確立し、憲兵支配の強化と相まって、治安対策的にはほとんど完璧(かんぺき)な権力支配が実現した。しかし本土決戦体制への移行に伴い、翼賛会は45年6月13日に解散し、国民義勇隊へ発展的解消を遂げた。
[木坂順一郎]
『歴史学研究会編『太平洋戦争史3~5』(1972~73・青木書店)』▽『升味準之輔著『日本政党史論 第七巻』(1980・東京大学出版会)』▽『伊藤隆著『近衛新体制』(1983・中央公論社)』▽『赤木須留喜著『近衛新体制と大政翼賛会』(1984・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日中戦争・太平洋戦争期に政府主導で全国におかれた国民組織。新体制運動のなかで,第2次近衛内閣が新体制準備会の審議と9月27日の閣議決定にもとづいて,1940年(昭和15)10月12日に組織した。「大政翼賛の臣道実践」をスローガンとした。総裁は近衛文麿。機構は中央本部事務局,中央協力会議のもとに各自治体レベルの支部および協力会議が設置された。翼賛会の性格をめぐっては発足当初から議論があり,翼賛会が政治性をもつことは憲法違反のおそれがあるとされたため,41年2月には政治運動の中心としての性格を否定し,公事結社と称した。また地方支部の人事をめぐって内務省と翼賛会の間に対立がおき,41年4月には改組と職員の大幅入替えが行われ,内務官僚主導の精神運動組織,上意下達の機関となり,傘下にさまざまな団体をかかえ,町内会・隣組などが下部組織に編入された。45年6月国民義勇隊の設置にともなって解散した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…またベストセラーとなった《暖流》(1938)のほか《由利旗江》(1929‐30),《双面神》(1936)など社会的視野をもった独特な新聞小説も書いている。40年大政翼賛会が設立されるや,軍部にたいする防波堤という意味で多くの知識人に推されて文化部長に就任した。戦後ユニークな日本人論《日本人とはなにか》(1948)をもって文壇に返り咲き,《罪の花束》などの小説も残しているが,その活動の中心は戯曲におかれ,48年から51年にかけて上演された《速水女塾》《椎茸と雄弁》《道遠からん》は,戦後の混乱期のなかで日本人とは何かを実作の上で問うた喜劇であって,戦後演劇を代表する作品である。…
…8月下旬には新体制準備会が発足したが,そこには諸種の勢力が混在しており,新体制の方向づけをめぐって激論が交わされた。その結果,運動は全国民が加わる大政翼賛会とするが,その中核体である大政翼賛会の構成員は総裁つまり近衛が指名することとなり,大政翼賛会が独自の指導性を発揮する余地が残された。しかし10月の発会式では近衛総裁は〈臣道実践〉だけを強調して失望をかった。…
…また町内会,部落会の実行組織として,10戸前後の隣保班が編成され,それぞれの単位で常会を開くことにより,上意下達を円滑に行うことが目ざされた(〈隣組〉の項参照)。 他方,同年に近衛文麿を中心とする新体制運動によって大政翼賛会が成立したが,同会でも上意下達,下情上通のための運動組織として,町内会,部落会にその機能を期待した。その結果42年5月の閣議で,大政翼賛会が部落会,町内会を指導する組織であることが正式に決定され,8月から実行された。…
…一方では企画院(1937),厚生省(1938),内閣情報局(1940),大東亜省(1942),軍需省(1943)などの強大な権限をもった新しい中央機関がつくられたばかりでなく,43年の戦時行政特別法,戦時行政職権特例によって首相が強大な権力を掌握した。他方では1940年に全政党が解散させられ,大政翼賛会に再編された。42年には,大政翼賛会の末端組織が,町内会・部落会,さらに隣組の組織と結びつくものとされ,国民すべてが戦時体制に組み込まれた。…
…大政翼賛会を中心とする第2次世界大戦中の政治体制。日中戦争の長期戦化にともない,〈国防国家体制〉と呼ばれた国家総力戦体制の樹立が必要となり,そのためには国務(政府)と統帥(軍部)の矛盾をはじめとする支配層内部の対立解消と国民の戦争協力への自発性を永続的にひきだす組織の結成が不可欠の課題となった。…
※「大政翼賛会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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