大正中期の民主主義の啓蒙(けいもう)思想団体。吉野作造(さくぞう)、福田徳三(とくぞう)らが『中央公論』などと連携してデモクラシーを推進する結社を企画し、1918年(大正7)12月23日に発会させた。発会時の会員は吉野、福田、今井嘉幸(よしゆき)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)、穂積重遠(ほづみしげとお)、大庭景秋(おおばかげあき)、大山郁夫(いくお)、高橋誠一郎、五来欣造(ごらいきんぞう)、朝永(ともなが)三十郎、麻生久(あそうひさし)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、森戸辰男(もりとたつお)ら大学教授や言論人23名で、国本の学理的闡明(せんめい)・頑冥(がんめい)思想の撲滅、国民生活の安固充実の促進を大綱とした。社会主義的色彩は希薄で、緩やかな啓蒙(けいもう)団体であったが、毎月講演会を開き、それらの記録として『黎明講演集』を刊行した。とくに、労働者や小作人の団結や争議行為を事実上禁止した治安警察法第17条の撤廃や普通選挙を主張し、また、武断的な朝鮮統治政策などを強く批判した。20年(大正9)夏に解散したため、存続は短期間であったが、新人会や民人同盟会など多くの社会科学・思想研究の学生組織結成の呼び水となり、大正デモクラシー運動の前期と後期の架橋の役割を果たした。
[佐藤能丸]
『菊川忠雄著『学生社会運動史』(1931・中央公論社/増補改訂・1947・海口書店)』
大正期の民本主義的知識人の思想団体。白虹(はつこう)事件にさいしての吉野作造擁護を契機に,1918年12月,吉野のほか木村久一,左右田喜一郎,福田徳三,森戸辰男,渡辺銕蔵らが学士会館で創立した。知識人による最初の団体であり,〈学理の上に打立てた所の合理的言論〉をもって活動することを目的とし,月1回の講演会を開き多くの聴衆を集めた。また,19年3月から翌年4月にかけて《黎明講演集》全10集を刊行し,19年6月創刊の雑誌《解放》への執筆協力とあわせて,三・一独立運動への連帯表明など民本主義思想に基づく啓蒙活動に本領を発揮した。発起人の一人大庭柯公の背後には,堺利彦ら売文社グループもあったという。森戸事件にさいしては,会員の佐々木惣一,三宅雪嶺,吉野が特別弁護人となり,20年2月の森戸擁護講演会開催では新人会などとも提携をした。講演会弁士の木村も5月にシベリア出兵反対の檄文紹介を不敬罪として検挙され,早大商学部教授を罷免され,8月には解散を余儀なくされた。11月の堺らによるコスモ俱楽部の発足には,木村,吉野,大山郁夫ら旧会員の一部が参加した。
執筆者:岩村 登志夫
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大正期の啓蒙団体。米騒動後の国家主義思想の高まりに対抗するため,吉野作造と福田徳三が中心となり少数の学者・思想家を組織したもの。1918年(大正7)12月23日結成。言論戦をめざして毎月1回時事問題をとりあげた講演会を開いた。参加者は吉野・福田のほかに今井嘉幸(よしゆき)・新渡戸稲造・穂積重遠・大庭景秋・大山郁夫・渡辺鉄蔵・森戸辰男・姉崎正治ら。普通選挙実施,武断的対外政策の廃棄,治安警察法第17条廃棄問題などについて啓蒙し,講演集も出版した。ILO労働代表選出問題で会員の意見が割れ,20年8月解散。
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…14年《東京朝日新聞》に入り,二葉亭以来の露都特派員として〈露軍従軍記〉を載せ,記者として文名をあげる。〈白虹(はつこう)事件〉で同社を辞め,黎明会設立に参加。新聞を〈民衆化〉する一環として記者組合組織を提唱,19年7月知識人組織として先駆的な著作家組合をつくる。…
…大正・昭和期の雑誌。(1)第1次 吉野作造,福田徳三らの黎明会同人を中心として,デモクラシー思想の普及のために1919年(大正8)6月大鐙閣から発行された総合雑誌。創刊号の定価38銭。…
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