20世紀日本人名事典 「宮地厳夫」の解説 宮地 厳夫ミヤジ イズオ 江戸時代末期・明治期の国学者,神官 宮内省式部官;神宮教主宰。 生年弘化4年9月3日(1847年) 没年大正7(1918)年6月15日 出生地土佐国土佐郡小高坂(高知県) 別名通称=竹馬,功,太左衛門 経歴八幡宮神官宮地の家を継ぐ。藩校致道館に学び、江戸で平田盛胤や伊藤祐命に師事。勤王運動に加わり国事に奔走。維新後は、明治5年教部省に奉職、以来伊勢神宮、枚岡神社などの神官を務める。神宮教を主宰。22年宮内省掌典、のち雅楽部長・御歌所参候兼任、大正3年大礼使事務官、7年式部官となる。有職故実式典に精通し、著書に「祭天古俗説弁義」「日本国家学談」「本朝神仙記伝」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮地厳夫」の解説 宮地厳夫 みやじ-いずお 1846-1918 明治-大正時代の国学者。弘化(こうか)3年9月3日生まれ。土佐高知城内八幡宮の神職宮地家の養子。平田銕胤(かねたね),伊東祐命(すけのぶ)にまなぶ。伊勢神宮権禰宜(ごんのねぎ),教導職などをへて明治21年宮内省掌典,のち式部官。大正7年6月15日死去。73歳。本姓は手島。著作に「本朝神仙記伝」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by