宮崎円遵(読み)ミヤザキ エンジュン

20世紀日本人名事典 「宮崎円遵」の解説

宮崎 円遵
ミヤザキ エンジュン

昭和期の仏教学者,僧侶 龍谷大学名誉教授



生年
明治39(1906)年10月10日

没年
昭和58(1983)年2月14日

出生地
和歌山県有田郡箕島町(現・有田市)

学歴〔年〕
龍谷大学文学部史学科〔昭和4年〕卒,本願寺派宗学院〔昭和10年〕卒

学位〔年〕
文学博士(龍谷大学)〔昭和27年〕

経歴
昭和5年真宗本願寺派本願寺で得度。20年箕島町の光源寺住職。31年本願寺史編纂主任、37年本願寺史編纂所主監、45年真宗連合学会理事長。一方、19年龍谷大学文学部助教授、22年教授、図書館長、41年文学部長、47年名誉教授、神戸女子大学教授を歴任著書に「蓮如上人の生涯と思想」「真宗書誌学の研究」「中世仏教と庶民生活」「親鸞とその門弟」「初期真宗の研究」、「宮崎円遵著作集」(全7巻 思文閣出版)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎円遵」の解説

宮崎円遵 みやざき-えんじゅん

1906-1983 昭和時代の仏教史学者。
明治39年10月10日生まれ。浄土真宗本願寺派の僧。昭和22年母校竜谷大の教授となる。真宗史の研究で知られ,西本願寺史の編修にもかかわった。昭和58年2月14日死去。76歳。和歌山県出身。著作に「初期真宗の研究」「親鸞とその門弟」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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