宮川香山(読み)ミヤガワコウザン

精選版 日本国語大辞典 「宮川香山」の意味・読み・例文・類語

みやがわ‐こうざん【宮川香山】

  1. 江戸末期・明治陶工。京都真葛ケ原の陶家、真葛長造の子。本名虎之助。明治四年(一八七一)横浜に移り、太田焼と称する外国向けの精巧華麗な磁器を焼いた。帝室技芸員天保一三~大正五年(一八四二‐一九一六

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮川香山」の解説

宮川香山 みやがわ-こうざん

1842-1916 幕末-大正時代の陶芸家。
天保(てんぽう)13年1月6日生まれ。真葛長造(まくず-ちょうぞう)の4男。貿易商鈴木保兵衛(やすべえ)にまねかれ,明治4年横浜で真葛焼の窯をひらく。花瓶に精細な浮き彫り装飾をほどこし,海外で好評を博した。古陶磁の模造にも妙技をふるう。帝室技芸員。大正5年5月20日死去。75歳。京都出身。本名は虎之助。

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世界大百科事典(旧版)内の宮川香山の言及

【明治・大正時代美術】より

… 明治初年,すでに蒔絵の柴田是真や彫金の加納夏雄は,名工として世に知られていたが,大多数の工芸職人たちはこうした工芸振興策をあしがかりとして頭角を現していった。彫金の海野勝珉(うんのしようみん),布目(ぬのめ)象嵌の鹿島一布(かしまいつぷ)(1828‐1900),蒔絵の白山(しらやま)松哉,無線七宝の濤川(なみかわ)惣助,西陣織の伊達弥助(1844‐92),そして陶工の〈歳寒三友〉とたとえられた宮川香山(1842‐1916),竹本隼太(はやた)(1848‐92),3代清風与平(せいふうよへい)(1851‐1914)たちである。
[近代化への道]
 1907年官設の展覧会として文部省美術展覧会(文展)が開設された。…

※「宮川香山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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