日本歴史地名大系 「宮市村」の解説 宮市村みやいちむら 鳥取県:日野郡江府町宮市村[現在地名]江府町宮市南西流して日野川に合流する船谷(ふねだに)川南岸に位置し、南西は江尾(えび)村。同川は上流部で美用谷(みようだに)川を合流。村名は若一(にやくいち)王子権現(現在の宮市神社)を中心として市が立ったことに由来する(江府町史)。同社の伝承によると、古代の会見(あいみ)郡に勢力を張った進氏(紀氏)が開発を行ったという。藩政期の拝領高は二七五石余、本免は五ツ六分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六二石余、竈数三一。「伯耆志」では家数三二・人数一四三。藪役八匁六分が課されていた(日野郡史)。宝暦六年(一七五六)御救として村内御立山の立木一三〇本の根伐りを許されている(在方諸事控)。 宮市村みやいちむら 福岡県:行橋市宮市村[現在地名]行橋市宮市・宮市町・西宮市(にしみやいち)一―五丁目・大橋(おおはし)二―三丁目・中央(ちゆうおう)三丁目大橋村の西に位置し、長峡(ながお)川・今(いま)川に挟まれた低地に集落が形成されている。北は京都(みやこ)郡行事(ぎようじ)村。当村の東側の一部は大橋村・行事村と入組み、一体になって在郷町を形成していた。応永一六年(一四〇九)七月二五日の大内盛見知行宛行状(新田文書/大分県史料八)に仲津郡「宮市」とみえ、大内氏は菩提所の楞厳(りようごん)寺(現大分県耶馬渓町西浄寺)に安堵している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by