日本歴史地名大系 「俣野村」の解説 俣野村またのむら 鳥取県:日野郡江府町俣野村[現在地名]江府町俣野伯耆・美作の国境にある三平(みひら)山(一〇〇九・八メートル)の西麓、南流から西流へ流れを変える俣野川中流に位置する山間の村。三平山南西麓に水源をもつ深山口(みやまぐち)川は日詰(ひのつめ)川・岩谷(いわだに)川を合流して西流し、俣野川に合流する。支村として深山口川に沿って西から池(いけ)ノ内(うち)・尾上原(おのうえはら)・日(ひ)ノ爪(つめ)(日の詰)・畑田(はたけだ)(畑ヶ田)・古屋敷(ふるやしき)・深山口がある(伯耆志)。村名は河川の分岐点にあたるという立地条件に由来する(江府町史)。股野・又野などとも記す。享和三年(一八〇三)当村西方に地先新田として福谷(ふくたに)村が成立(藩史)。拝領高は三三四石余、本免は五ツ四分。元禄郷帳による高四一〇石余。幕末の六郡郷村生高竈付では生高五二五石余、竈数一〇四。「伯耆志」では林五七町八反余、家数一〇〇・人数四八九、鑪山として岸谷山・岩谷山・槙山・瀬ヶ谷山・蛇食(じやばみ)山(蛇喰山)・切詰(きりつめ)山・吉谷(よしがたに)山・日名(ひな)山があり、産物は熊胆。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by