日本歴史地名大系 「宮後遺跡」の解説 宮後遺跡みやうしろいせき 茨城県:東茨城郡茨城町近藤村宮後遺跡[現在地名]茨城町桜の郷・近藤涸沼(ひぬま)前(まえ)川左岸の標高二五−二九メートルの台地上に位置する遺跡で、現在は国立水戸医療センターが建てられている。平成一〇年(一九九八)から同一二年にかけて、「やさしさのまち桜(さくら)の郷(さと)」整備事業に先だって、近接して存在する大塚(おおつか)遺跡や綱山(つなやま)遺跡とともに発掘調査された。遺跡は縄文時代から近世に及んでいるが、とくに縄文時代中期と奈良・平安時代の集落跡が中心である。縄文時代の遺構は、竪穴住居跡一〇四軒、土坑一千九七四基、土坑墓二三八基、陥し穴九基などで、環状に集落が営まれ、中央部に土坑墓群が存在している。 宮後遺跡みやごいせき 静岡県:賀茂郡東伊豆町白田村宮後遺跡[現在地名]東伊豆町白田白田(しらだ)川河口を眼下に望む標高四六―六四メートルの丘陵上から谷部にかけて立地する。縄文時代後期前葉を中心とする集落跡。遺跡は南北約一三〇メートル・東西五五メートルの範囲に広がっている。昭和五八年(一九八三)に発掘調査が行われ、相模灘側から入る谷に沿うように縄文後期前葉の住居跡(堀之内I式―加曾利B1式)七棟が検出された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by