朝日日本歴史人物事典 「宮本包則」の解説
宮本包則
生年:天保1(1830)
江戸末期・明治大正期の刀工。伯耆国(鳥取県)倉吉の生まれで,備前(岡山県)長船の刀工横山祐包の門に入った。姓は宮本とも菅原ともいい,能登守を名乗っている。元治1(1864)年銘の刀には「於皇都」と記しており,一時京都に住み,その後東京に移ったとみられる。明治9(1876)年の廃刀令により,刀鍛冶は事実上その職を失ったが,包則は作刀を続け,22年には伊勢神宮の遷宮の神宝太刀を作り,39年には大阪の月山貞一と共に帝室技芸員に任命された。作風は幕末期には長寸の豪壮な刀を作ったが,明治以降は65cmほどの軍刀用の長さが多く,小板目のつんだ鍛えに,直刃の刃文を得意とする。
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報