日本歴史地名大系 「宮良村」の解説 宮良村めーらむら 沖縄県:八重山諸島石垣市宮良村[現在地名]石垣市宮良(みやら)大浜(ほーま)村の東にある。南北に長い村域で南は宮良(みやら)湾に面し、南西端を宮良(めーら)川が南流して同湾に注ぐ。北端は桴海於茂登(ふかいうむとう)山系の底原(すくばる)山で、オヤケアカハチ終焉の地と伝える。桴海(ふかい)村から四箇(しいか)村方面へ出る高間(たかま)越地が山中を通るが急坂の多い険路で、山仕事以外の利用者は少なかった。白保(しいさぶ)村とは兄弟村と伝え、両村と両村内の御嶽の創建にまつわる伝承が残る(→美崎御嶽)。近世を通じて宮良(めーら)間切に属し、両島絵図帳の高一九九石余。順治八年(一六五一)の人口は白保村と合せて二四八人。白保村は当村役人の管轄であったが、康熙五二年(一七一三)に独立した。雍正一〇年(一七三二)当村百姓らが出作していた桃里(とーざとう)の村立てに際し他村とともに寄百姓している(以上、八重山島年来記)。乾隆二年(一七三七)の調査報告では人口七六〇人、村回り一六町余、風気も土地柄もよく田畑も広く住みやすいが、蔵元に近いため臨時の公事勤めが多く百姓の負担は大きいという(参遣状)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by