宮領村(読み)みやりようむら

日本歴史地名大系 「宮領村」の解説

宮領村
みやりようむら

[現在地名]坂井町宮領・朝日あさひ

坂井平野中央部南東寄り、田島たじま川左岸の自然堤防上に位置する。東は田島川を挟んで田島村、西は長畠ながばたけ村。「越前地理指南」は枝村として「荒屋」を記す。長禄二年(一四五八)の越前国長崎称念寺光明院寺領塔頭領惣目録(称念寺文書)に「一、宮領蓮屋畠五反」とみえる。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では長畝下のうねしも郷に含まれていたと思われる。村名は正保郷帳にみえ、田方八四〇石余・畠方四六六石。貞享三年(一六八六)以降幕府領。天保九年(一八三八)頃の御巡国様ニ付御案内手帳(「越前宗門帳」所収)によれば戸数七三、人数三五二、馬一六匹。低湿地も多く、田島川の出水に悩んだ。天明八年(一七八八)当村から福井藩御預役所に差出した歎願書(坪川家文書)には次のようにある。


宮領村
みやりようむら

[現在地名]東広島市高屋たかや町宮領

入野にゆうの川上流沿いに位置し、南に五〇〇メートル級の山が連なる。北の大畠おおばたけ村とは入野川を境とし、西は桧山ひやま村に接する。「芸藩通志」は「此村白鳥社の神領なるを以てかく称すといふ」と記すが徴証はない。元和五年(一六一九)の村高は三三四・四二三石であったが(安芸国知行帳)、その後五〇三・一石が本斗とされ、近世を通じて変わらなかった(明治三年「郷村高帳」広島大学蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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