出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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容楊黛
生年:生没年不詳
江戸中期の浄瑠璃作者。実名は江戸下谷長者町(台東区上野)の医者松田某とされているが確証はない。浄瑠璃作者としては,安永9(1780)年初演の「碁太平記白石噺」全11段の内の2段目を担当した例と,単独で書いた天明2(1782)年初演の「加々見山旧錦絵」の2例があるだけである。後者は大当たりをとり,現代に至るまで著名。まさに「加々見山旧錦絵」一作で後世に名を残した作者である。ほかに読本『敵討連理橘』,洒落本『歌舞妓の華』を書いた。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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容楊黛 よう-ようたい
?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者。
江戸下谷(したや)の医師で,姓は松田とつたえられる。安永9年(1780)外記(げき)座の「碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)」を紀上太郎(きの-じょうたろう),烏亭焉馬(うてい-えんば)と合作。天明2年(1782)「加々見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)」をかき,評判となった。
【格言など】その職にいてその道を知らぬ者を禄盗人といいますぞえ(「加々見山旧錦絵」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の容楊黛の言及
【加賀見山旧錦絵】より
…通称《加賀見(鏡)山》。[容楊黛](ようようたい)作。1782年(天明2)1月江戸薩摩座初演。…
【碁太平記白石噺】より
…別訓〈ごたいへいきしらいしばなし〉。[紀上太郎](きのじようたろう),[烏亭焉馬](うていえんば),[容楊黛](ようようたい)合作。1780年(安永9)1月江戸外記座初演。…
※「容楊黛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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