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紀上太郎 (きのじょうたろう)
生没年:1747-99(延享4-寛政11)
浄瑠璃作者,狂歌師。大坂の三井南家の嫡子で,本名三井治郎右衛門。狂歌では仙果亭嘉栗(かりつ)と号する。紀海音に師事し,幕府の為替御用を務めていた江戸在住中に浄瑠璃を執筆した。作品には1776年(安永5)8月《志賀の敵討》,77年3月《糸桜本町育》,80年1月の《碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)》(いずれも江戸外記座上演)などがある。福内鬼外(ふくうちきがい)(平賀源内)に浄瑠璃《神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)》ほかを書かせるなど,著作以外の面での浄瑠璃界への貢献が大きい。
執筆者:向井 芳樹
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紀上太郎
没年:寛政11.4.23(1799.5.27)
生年:延享4.1.8(1747.2.17)
江戸中期の豪商,京の三井家南家4代目当主で,人形浄瑠璃の後援者として名高い。浄瑠璃作者,狂歌作者。本名三井高業。紀上太郎は浄瑠璃作者名。別号の三津環は,三箇都(京,大坂,江戸)におよぶ家業と活躍を想起させる。狂歌名仙果亭由甲斎嘉栗。浄瑠璃作者としては合作も含めて安永期に江戸で4編,寛政11(1799)年に大坂で1編,計5編を書いたが,特に「糸桜本町育」「碁太平記白石噺」が好評で,歌舞伎にもうつされた。後者では白石(宮城県)出身者の方言を聞き,合作者のひとり烏亭焉馬を現地に派遣するなど,方言調査に努めた。20歳のころから鯛屋貞柳の高弟栗柯亭木端に入門,終生狂歌に親しむ。『狂歌貞柳伝』,紀行文『北国路之記』などの編著が『嘉栗全集』に収められる。<参考文献>『江戸作者浄瑠璃集』(叢書江戸文庫15巻)
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紀上太郎 きの-じょうたろう
1747-1799 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)作者,狂歌師。
延享4年1月8日生まれ。大坂の豪商三井南家第4代。幕府の為替用達(かわせようたし)をつとめる。狂歌を栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん)にまなび,狂名は仙果亭嘉栗。人形浄瑠璃の後援者として知られ,江戸在住中「糸桜本町育(いとざくらほんちょうそだち)」「碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)」などの作品をかく。50歳のとき三井家内紛の罪をかぶり,江戸重追放となった。寛政11年4月23日死去。53歳。名は高業(たかなり)。
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紀上太郎 (きのじょうたろう)
生年月日:1747年1月8日
江戸時代中期の豪商;浄瑠璃作者;狂歌師
1799年没
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世界大百科事典(旧版)内の紀上太郎の言及
【碁太平記白石噺】より
…別訓〈ごたいへいきしらいしばなし〉。[紀上太郎](きのじようたろう),[烏亭焉馬](うていえんば),[容楊黛](ようようたい)合作。1780年(安永9)1月江戸外記座初演。…
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