人形浄瑠璃。時代物。11段。《鏡山旧錦絵》とも書く。通称《加賀見(鏡)山》。容楊黛(ようようたい)作。1782年(天明2)1月江戸薩摩座初演。題材は1724年(享保9)4月3日,松平周防守の屋敷で側女みちが誤って局(つぼね)沢野の草履をはき違えたことから沢野に侮辱を与えられ,これを恥じて自害したので,みちの下女さつは沢野を刺して主人の恨みをはらしたという実説を中心に,歌舞伎《加賀見山廓写本(かがみやまさとのききがき)》(奈河亀輔作,1780年大坂藤川座)から加賀騒動の筋をあわせて脚色した作品である。管領足利持氏の臣大杉源蔵はお家横領を謀り,忠臣神崎主膳の弟畑介をそそのかし相模川で持氏を討たせる。この陰謀に荷担した局岩藤はその密書を中老尾上に拾われたため,これを陥れようと,鶴ヶ岡代参のおり,尾上に草履打の恥辱を与える。尾上は主家を思い,じっとその場をこらえて部屋に帰る。下女のお初は事情を知って,主人の気持を慰めようと努めるが,尾上はわざとお初に宿元への使いを命じ,その留守に書置を残して自害する。お初は途中,不吉な予感を感じて急いで部屋へ帰ったが,そのとき尾上はすでにこと切れていた。お初はその夜奥殿に忍び入り,岩藤を誘い出して主人の恨みをはらす。お初はのち2代目尾上に出世する。畑介は源蔵に謀られた仔細を語り切腹する。このうち六・七段の尾上・岩藤の件のみが残った。現在この名題で演ずる通し狂言は《加賀見山廓写本》の前半をとり交ぜてある。歌舞伎には1783年(天明3)4月江戸森田座,ついで7月大坂藤川菊松座(角の芝居)で上演されて以来,3月の御殿女中の宿下りを目当てとした弥生狂言の重要な演目となり,歌舞伎独自の脚色の改修と演出が行われた。今日の上演では〈花見〉〈竹刀打(しないうち)〉〈試合〉〈草履打〉〈廊下〉〈尾上部屋〉〈烏啼(からすな)き〉〈奥庭〉という場面の上演になるのが定型である。〈竹刀打〉は尾上が息女大姫から蘭奢待(らんじやたい)の名木と朝日の弥陀(みだ)の尊像を預かったことがもとで岩藤が尾上に嫉妬と遺恨を持つ場面である。岩藤は町家の出の娘の尾上にわざと武術の試合を挑み,主人に代わったお初に打たれ,さらに遺恨をつのらせる。演出の中心はその試合で,岩藤の竹刀を落としたお初がさらに打とうとするのを,尾上はたしなめながらもお初をほめるあたりの尾上の演技にしどころがあり,主従の情愛のこまやかさを見せる。〈草履打〉は殿中の広間で,上使へ差し出したお預りの名木の箱のなかから岩藤の草履が出たことによって,尾上は岩藤に打擲される。岩藤の役には,憎々しさとともに堂々たる貫禄を必要とする。これと対照的に,尾上のじっと坐ったままの陰性な忍従の演技も難しい。〈尾上部屋〉は人形浄瑠璃では〈長局(ながつぼね)〉といい,全編の眼目である。お初が主人の肩をもみながら《忠臣蔵》に託して,短気を戒めるところ,また使いを命ぜられてから,神棚を拝んだり,煎じ薬を持ってきたりして,まめまめしく仕える誠実さが観客の胸をうつ。〈烏啼き〉は屋敷の塀外で,お初が不吉な烏のなき声を気にして部屋に戻るところ。ここは,闇夜に牛島主税という荒若衆(あらわかしゆ)と伊達平という色奴(いろやつこ)との3人で文箱の紐をつかって〈だんまり〉となる歌舞伎らしい演出がある。もとの〈尾上部屋〉では,まだ尾上は生きていて,弥陀の尊像を盗もうとする岩藤と争い,また虫の息でお初に別れを告げる演出もある。〈奥庭〉では岩藤が黒の着付に,蛇の目をさして出るが,美しさのなかにすごみが必要。お初との立回りは雨音や蛙の声を効果的に用いて歌舞伎の独特の様式美を見せる。なお,その続編というべき〈後日の鏡山〉また〈骨寄せの岩藤〉という一系統がある。捨てられた岩藤の骸骨が集まって岩藤の姿となってあらわれ,お初や大姫を悩ませる筋となっており,5世鶴屋南北作《桜花大江戸入船(やよいのはなおえどのいりふね)》(1837年3月江戸中村座)を最初として《加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)》など多くの改作がある。
執筆者:菊池 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。11冊。容楊黛(ようようたい)作。1782年(天明2)1月江戸・外記座(げきざ)初演。加賀騒動に取材した歌舞伎(かぶき)脚本『加賀見山廓写本(さとのききがき)』(1780)と、1724年(享保9)松平周防守(すおうのかみ)の江戸藩邸で、中老みちが局(つぼね)沢野の草履(ぞうり)を履き違えたことから恥辱を受けて自害、みちの下女さつが沢野を討って主人の恨みを晴らした事件とをあわせて脚色。初演の翌年には歌舞伎に移されたが、女同士の敵討(かたきうち)を扱った六、七冊目が大名屋敷の奥勤めの生活を克明に描写しているので、御殿女中が宿下(やどさが)りする3月の弥生(やよい)狂言には絶好の演目となり、繰り返し上演されるようになった。通称「加賀見山」または「鏡山」。足利(あしかが)家の局岩藤(いわふじ)は主家横領の陰謀に加担し、密書を中老尾上(おのえ)に拾われたので、これを陥れるため武術の試合を挑んで失敗すると、さらに言いがかりをつけ、草履で尾上を打ち据えて恥を与える。尾上は無念のあまり、岩藤一味の悪事を書き残して自害。下女お初はその夜奥庭で岩藤を討ち、主人の恨みを晴らした功によって2代目尾上の名を許される。
江戸期には上演ごとに脚本がくふうされたが、現代では、お初が尾上のかわりに岩藤を打ち負かす「試合」(または「竹刀打(しないうち)」)の次に「草履打」、「尾上部屋」(または「長局(ながつぼね)」)、使いに出たお初が主人の身を案じて引き返す「烏啼(からすな)き」、元の「部屋」、最後に「奥庭仕返し」という場割が定型。演出面も、敵役岩藤の貫禄(かんろく)と憎味(にくみ)、純女方(おんながた)の尾上の内向的な演技、お初の強さと情味など、各役に優れた型が完成されている。なお、河竹黙阿弥(もくあみ)作『加賀見山再岩藤(ごにちのいわふじ)』はその後日譚(たん)で、殺された岩藤の骸骨(がいこつ)が寄り集まって元の局の姿になるところが眼目なので、通称を「骨(こつ)寄せ岩藤」という。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…加賀騒動物として,歌舞伎あるいは人形浄瑠璃では,むしろ派生した作品のほうが著名である。それは別の藩邸に発生した女どうしの不和で,側室が奥方側近の女にはずかしめられて自殺したあと,側室に仕えた侍女が仇討をした事件を,加賀の世界に仮託した作品で,1782年(天明2)江戸の人形浄瑠璃に書きおろされた容楊黛(ようようたい)の《加賀見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)》が歌舞伎に移入されたもので,俗に〈女の忠臣蔵〉と称された。こういう劇は奥づとめの女中の宿下りに見るのにふさわしいので毎年3月に上演されたが,悪役の局岩藤,中老尾上とその召使のお初,この3人の女が大役で,岩藤とお初の試合,岩藤が尾上を草履で打ち,尾上無念の自殺,お初が奥庭で岩藤に復讐する4場面が原則になっている台本である。…
※「加賀見山旧錦絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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