寂照院(読み)じやくしよういん

日本歴史地名大系 「寂照院」の解説

寂照院
じやくしよういん

[現在地名]長岡京市奥海印寺 明神前

奥海印寺おくかいいんじ集落北方にある。山号は木上山、単立(真言系)。本尊千手観音。もと当地にあった海印かいいん寺一〇院の一。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔海印寺〕

海印寺は九世紀半ばに権少僧都道雄によって創建された。創建の経緯や寺名の意味については、嘉祥四年(八五一)道雄が定額寺に列して別当を置き、また年分度者二人を置くことを願った上表に詳しい。上表文は、願いのとおり許可した同年三月二二日の太政官符(類聚三代格)に引用される。

<資料は省略されています>

奈良東大寺花厳宗の道場として、その教理に従って一〇院を建立し、全体の名称を海印三昧寺とするわけである。右に続けて堂塔尊像のなかには「皇家建作」もあるというが、「東大寺要録」末寺章には、道雄の奏請によって「文徳天皇創建也」としている。こうして皇室朝廷の支持のもとに創建されたにもかかわらず平安後期には衰退し、摂関家の祈祷所に寄進されてしまった。仁安二年(一一六七)三月二三日の摂政(藤原基房)家政所下文案(東大寺図書館本倶舎抄裏文書)によれば、乙訓おとくに郡「戒印寺」は「別当勝慶相伝私領、敢無異論」であったが、「依為無縁之地、且為募御威、今相具次第譲(状カ)、所寄進 殿下御祈祷所也」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の寂照院の言及

【海印寺】より

…海印三昧寺ともいう。現在は旧子院の一つ,木上山寂照院が法灯を伝える。819年(弘仁10),空海の十大弟子の一人,東大寺の僧道雄が華厳経にもとづく海印三昧の修行道場として創建。…

※「寂照院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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