日本歴史地名大系 「富士新田」の解説 富士新田ふじしんでん 群馬県:利根郡川場村富士新田[現在地名]川場村谷地(やち)谷地組の北方に位置し、武尊(ほたか)山から流下する桜(さくら)川が流れる。北は川場山に続く山中谷間の村。近世初期から開発が始められた村で、延宝六年(一六七八)の富士新田新起御改帳(「川場村の歴史と文化」所収)には一一八筆、田畑合せて六反余が記載されている。田一反の取箇四斗六升、畑は一反につき永六六文。なお焼畑も行っている。この頃は上川場村の内で、天和元年(一六八一)の郷村品々記録(小林文書)によると高二六四石余。 富士新田ふじしんでん 群馬県:利根郡新治村富士新田[現在地名]新治村相俣(あいまた)相俣村の北、赤谷(あかや)川の源流近くの赤谷山南麓に位置。相俣村からの開発で、延宝二年(一六七四)頃から開拓が進められたという(郡村誌)。元禄郷帳に村名がみえ高一九石余。安政二年(一八五五)の猿ヶ京関所明細帳(本多夏彦氏筆写史料)によると、関所付村六ヵ村の一で、関所の下番役を勤めている。これは慶応三年(一八六七)の猿ヶ京関所規則勤番心得方返答書(片野文書)によると、先の六ヵ村から昼六人、夜六人の下番役が出され、片野・戸部・高野・木村の四氏の関所役人を補佐するものであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by