過度経済力集中排除法(読み)カドケイザイリョクシュウチュウハイジョホウ

デジタル大辞泉 「過度経済力集中排除法」の意味・読み・例文・類語

かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょ‐ほう〔クワドケイザイリヨクシフチユウハイヂヨハフ〕【過度経済力集中排除法】

日本財閥解体一環として、大企業経済力集中排除し分散させるために、昭和22年(1947)に制定された法律GHQ占領政策の転換で徹底せず、昭和30年(1955)に廃止された。集中排除法

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精選版 日本国語大辞典 「過度経済力集中排除法」の意味・読み・例文・類語

かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょ‐ほうクヮドケイザイリョクシフチュウハイヂョハフ【過度経済力集中排除法】

  1. 〘 名詞 〙 第二次世界大戦後の財閥解体と企業の分散化などを目的とする臨時法。昭和二二年(一九四七公布、同三〇年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「過度経済力集中排除法」の意味・わかりやすい解説

過度経済力集中排除法
かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう

1947年(昭和22)に、第二次世界大戦後の財閥解体による経済民主化の一環として、過度の経済力の集中を排除するために制定された法律。この法律は、戦時中企業整備などにより規模が過大となった企業を、戦後の経済に適合するよう分散化するとともに、市場競争による民主的な経済体制をつくりだすことを目的としていた。この法律により排除の対象となるのは、持株会社整理委員会一定の基準に従って指定した会社であり、当該会社が作成して同委員会が承認し、または同委員会が自ら作成する企業再編成計画に基づき、一定の手続を経て同委員会が決定した指令に従い、経済力集中の排除が実施された。この法律により1948年に325社の指定が行われたが、その後、国際情勢の変化に対応してアメリカの対日政策が変わったため、この法律による集中排除は徹底せず、1955年に廃止された。なお、この法律と同様、競争秩序を維持することを目的として1947年に制定された独占禁止法がある。

[戸田修三]

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百科事典マイペディア 「過度経済力集中排除法」の意味・わかりやすい解説

過度経済力集中排除法【かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう】

第2次大戦後,連合国の日本経済民主化措置の一環として公布された法律(1947年)。集中排除法と略。企業整備や吸収合併で巨大化した企業を分割し,自由競争の促進を目的とする。排除対象の指定などにつき持株会社整理委員会に強大な権限を与えた。1955年廃止。→財閥解体
→関連項目日本製鉄[株]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「過度経済力集中排除法」の意味・わかりやすい解説

過度経済力集中排除法
かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう

昭和 22年法律 207号。経済民主化政策の一環として,いわゆる財閥解体をはかるため制定された法律。この法律は,「平和的且つ民主的な国家を再建する為の方策の一環として,できるだけすみやかに過度の経済力の集中を排除し,国民経済を合理的に再編成することによって,民主的で健全な国民経済再建の基礎を作ること」を目的としていた。かかる目的にもかかわらず,同法は,占領軍の対日政策の転換などにより,その実効性を十分にあげえないまま 1955年に廃止された。このことは,その後の独占禁止法の運用を困難ならしめた一因である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「過度経済力集中排除法」の解説

過度経済力集中排除法
かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう

財閥解体の一環として,大企業自体のもつ独占的経済力を除去するための法律。GHQの日本政府への指示によって,1947年(昭和22)12月18日に公布,即日施行。第2次大戦前の軍事力の経済的根拠となった独占体の再生を抑止するため,大企業の分割・再編を意図した。実施機関である持株会社整理委員会が分割対象企業として指定した会社数は当初325社に上ったが,実際には48年アメリカの対日政策の転換から続々と指定が取り消され,最終的に分割処分をうけた企業はわずか11社で,不徹底のままに終結した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「過度経済力集中排除法」の解説

過度経済力集中排除法
かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう

第二次世界大戦後,独占禁止法と並ぶ経済民主化政策の一つ
1947年12月,占領軍の指令で,戦前・戦時中に巨大化した企業を持株会社整理委員会が適当な規模の企業に再編成した。初め対象企業は325社であったが,アメリカの対日政策の転換から次第に緩和され,実際に分割されたのは11社で,不徹底に終わった。

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改訂新版 世界大百科事典 「過度経済力集中排除法」の意味・わかりやすい解説

過度経済力集中排除法 (かどけいざいりょくしゅうちゅうはいじょほう)

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世界大百科事典(旧版)内の過度経済力集中排除法の言及

【財閥解体】より

…それは国務・陸軍・海軍省調整委員会(SWNCC)302‐2号文書(1947年1月22日付)で示され,極東委員会(FEC)に提出(FEC230号文書)された。これには狭義の財閥解体の場合と異なり,日本の産業界が公然と反対したが,GHQの強い指示により,国会は原案の頭に〈過度〉の2字を加えた過度経済力集中排除法(47年12月18日公布)を制定した。これに基づき,同法による実務を担当することとなった持株整理委は,48年2月中に鉱工業,商業,サービス部門の大企業のすべてを網羅した325社を適用企業に指定した。…

【集中排除法】より

…第2次世界大戦後,占領軍による経済民主化政策の一環として,1947年12月18日に公布施行され,55年7月25日に廃止された法律で,正確には過度経済力集中排除法という。初期占領政策では,特殊日本的な独占組織である財閥の解体と並行して,一般的な反独占政策が進められたが,将来における独占の復活を防止する目的で制定されたのが独占禁止法であるのに対して,既存の独占的大企業の分割を意図したのが本法である。…

【日本資本主義】より

…さらに財閥家族の所有有価証券の強制譲渡等の追加措置が行われ,財閥コンツェルンはほぼ完全に解体された。これに対し後者の集中排除=独占禁止は,日本の資本家団体が頑強に抵抗し,アメリカ国内の批判もあってなかなか実現せず,47年11月に至って過度経済力集中排除法(集中排除法)という妥協的形態で実行に移されたが,指定対象会社は48年2月の325社がピークで,以降占領政策の転換とともに急速に後退し,最終的には日本製鉄,三菱重工業など18社にとどまった。そして48年から始まった独占禁止法(1947年4月公布)改正の動きが49年6月に実現し,その後〈企業グループ〉という新しい形での資本の再結集がはかられていった。…

【ビール】より

…また,政府は税収確保の観点から,47年ビールに加算税を課した特価酒を販売したが,49年の自由販売への移行とともに減税が実施され,さらに50年には需要減に対応して2度目の減税が行われた。一方,大日本麦酒,麒麟麦酒両社は1948年,過度経済力集中排除法による分割対象企業となり,49年9月,大日本麦酒は,日本麦酒(1964年サッポロビールと改称),朝日麦酒の2社に分割されたが,麒麟麦酒は分割を免れた。分割当時の各社のシェアは日本麦酒38.6%,朝日麦酒36.1%,麒麟麦酒25.3%であった。…

※「過度経済力集中排除法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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