新日本文学(読み)しんにほんぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新日本文学」の意味・わかりやすい解説

新日本文学
しんにほんぶんがく

新日本文学会の機関誌。1946年(昭和21)3月創刊。2004年(平成16)終刊。同会は、旧日本プロレタリア作家同盟の作家たちを発起人として、民主主義的文学の創造と普及を目ざす統一的な文学組織として前年12月結成された。発起人は秋田雨雀(うじゃく)、江口渙(かん)、蔵原惟人(くらはらこれひと)、窪川鶴次郎(くぼかわつるじろう)、壺井繁治(つぼいしげじ)、徳永直(すなお)、中野重治(しげはる)、藤森成吉(せいきち)、宮本百合子(ゆりこ)。また志賀直哉(なおや)、広津和郎(かずお)、野上弥生子(やえこ)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)などが賛助会員として名を連ねた。創刊準備号(1946.1)の巻頭を飾った宮本百合子「歌声よ、おこれ――新日本文学会の由来」は、第二次世界大戦後の民主主義文学運動の出発を宣言した画期的な評論として知られる。しかし創刊後まもなく、中野重治と、『近代文学』同人の平野謙荒正人(あらまさひと)との間に「政治と文学」の関係をめぐる、いわゆる「政治と文学」論争が起こり、また小田切秀雄らによって文学者の戦争責任追及がなされるなど、その後も続くさまざまな戦後文学論争の舞台となった。一方、1950年には、コミンフォルムの論評から始まる日本共産党の「50年問題」の影響が会の内部に及び、同年11月には『人民文学』が創刊されるという分裂混乱の事態が生じたが、この問題を含めて1950年代前半までは内部対立を克服しながら運動が展開された。しかし1950年代後半から1960年の安保闘争へと向かう時代の複雑なイデオロギー状況の出現は、対立や矛盾をいっそう激化させ、1964年の第11回大会では政治的な立場や創作方法の違いから江口渙、霜多正次(しもたせいじ)、津田孝(1930―2004)、西野辰吉(たつきち)が除籍され、彼らを含めて1965年8月、日本民主主義文学同盟が創立され、同年12月『民主文学』が創刊された。

 『新日本文学』の歴代の編集長は、蔵原惟人、壺井繁治、窪川鶴次郎、中野重治、小田切秀雄、久保田正文(まさふみ)(1912―2001)、中島健蔵花田清輝(きよてる)、野間宏(ひろし)、針生(はりう)一郎、田所泉(1932―2006)、鎌田慧(かまたさとし)などが務め、戦後文学運動の一拠点として社会的な課題を先鋭に反映させた多数の作品を送り出し、とくに小沢清(1922―1995)、熱田五郎(1912―1960)ら労働者出身の優れた作家を輩出した。また宮本百合子『播州(ばんしゅう)平野』(1946)、徳永直『妻よねむれ』(1946~1948)の2長編を創刊号から連載し、以後、田中英光(ひでみつ)『少女』(1947)、壺井栄『妻の座』(1949)、江口渙『花嫁と馬一匹』(1948~1949)、島尾敏雄『ちっぽけなアヴァンチュール』(1950)、井上光晴『書かれざる一章』(1950)、佐多(さた)稲子『みどりの並木道』(1951~1952)、金達寿(キムタルス)『玄海灘(げんかいなだ)』(1952~1953)、西野辰吉『秩父(ちちぶ)困民党』(1954~1956)、霜多正次『沖縄島(じま)』(1956~1957)、大西巨人『神聖喜劇』(第4部まで、1960~1970)などを登載した。そのほか追悼特集として「宮本百合子追悼特集」(1951年4月号)、「中野重治・人と仕事」(1979年12月号)、「佐多稲子追悼特集」(1999年5月号)などがある。2004年(平成16)11・12月合併号(通算652号)で終刊となった。

[宮本阿伎]

『平野謙他編『討論 日本プロレタリア文学運動史』(1955・三一書房)』『中島健蔵・中野重治編『戦後十年日本文学の歩み』(1956・青木書店)』『日本共産党中央委員会編『文学と文学運動の諸問題――現代修正主義とのたたかい』(1963・日本共産党中央委員会出版部)』『日本民主主義文学同盟編・刊『民主文学』創刊号(1965・新日本出版社発売)』『近代文学同人編『近代文学の軌跡――戦後文学の批判と確認』全2冊(1968・豊島書房)』『新日本文学会編・刊『新日本文学』創立30周年記念号(1976)』『佐藤静夫著『戦後文学の三十年』(1976・光和堂)』『田所泉著『「新日本文学」の運動・歴史と現在』(1978・新日本文学会出版部)』『窪田精著『文学運動のなかで――戦後民主主義文学私記』(1978・光和堂)』『窪田精著『私の戦後文学史』(1990・青磁社)』『新日本文学会編・刊『新日本文学』創刊600号記念号(1999)』『田所泉著『新編「新日本文学」の運動 評論集』(2000・新日本文学会出版部)』『鎌田慧編集代表『「新日本文学」の60年』(2005・七つ森書館)』『新日本文学会編『「新日本文学」復刻縮刷版』全16巻(2014・第三書館)』『本多秋五著『物語 戦後文学史』上下(岩波現代文庫)』

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百科事典マイペディア 「新日本文学」の意味・わかりやすい解説

新日本文学【しんにほんぶんがく】

文芸雑誌。1945年,秋田雨雀蔵原惟人中野重治宮本百合子らを発起人とし,民主主義文学の創造と普及を目標に結成された〈新日本文学会〉の機関誌で,翌1946年創刊された。《近代文学》に拠る平野謙・荒正人対中野を中心とする〈政治と文学論争〉や,1950年,藤森成吉徳永直野間宏らが別に《人民文学》を創刊して対立するなど,しばしば論争,対立が,この雑誌,またそのメンバーを一方の当事者として起こったが,戦後文学の軸の一つとして,政治と文学,リアリズム文学論など重要なテーマを浮き彫りにし,多くの作家の登場の舞台となった。2004年秋,第652号で終刊,2005年3月,新日本文学会も解散した。
→関連項目近代文学窪川鶴次郎黒井千次壺井繁治

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改訂新版 世界大百科事典 「新日本文学」の意味・わかりやすい解説

新日本文学 (しんにほんぶんがく)

新日本文学会発行の文芸雑誌。1946年(昭和21)3月創刊(創刊準備号は1月刊)。会は〈民主主義的文学の創造とその普及〉を綱領に掲げ,専門文学者の全国組織として,1945年12月30日に創立大会を開いて発足した。創立発起人は秋田雨雀,蔵原惟人,中野重治,宮本百合子ら9人。昭和初年までのプロレタリア文学運動を批判的にうけつぎつつ,より広い民主的な組織をめざして出発。46年にはプロレタリア文学批判をめぐって中野重治と,主として荒正人,平野謙を中心とする《近代文学》グループとの間に〈政治と文学〉論争が展開された。50年までがほぼ第1期で日本共産党との蜜月時代とみなされるが,コミンフォルムの日本共産党批判問題をめぐってその時期は終わり,61年第10回大会において,文学は〈人民の活動,特にその精神状況にたいして独自に直接に責任をとる〉という立場を明らかにした。その時期までを第2期とみれば,第10回大会以後,戦後登場した新メンバーを中心とする第3期に入ったとみうる。宮本百合子,佐多稲子,徳永直,窪川鶴次郎,壺井繁治らが多くの仕事をしたが,第1期に小沢清,熱田五郎らの勤労者作家を出し,第2期以後に霜多正次,西野辰吉,金達寿,大西巨人,泉大八,佐木隆三らを送り出したほか,評論家も多く輩出した。1948年に宣言〈平和のために〉を発表して以来,平和運動・反戦運動の拠点としても多くの役割を果たしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新日本文学」の意味・わかりやすい解説

新日本文学
しんにほんぶんがく

文芸雑誌。 1946年3月創刊。 45年 12月に発足した新日本文学会の機関誌として,蔵原惟人,壺井繁治,中野重治らにより,宮本百合子の『歌声よ,おこれ』を巻頭に所収の準備号を経て,発刊された。プロレタリア文学運動の延長線上にある民主主義文学を主張して,蔵原の『新日本文学の社会的基礎』,中野の『日本文学史の問題』などを掲載,宮本の『播州平野』,徳永直の『妻よねむれ』,金達寿の『玄海灘』,井上光晴の『死者の時』などが主要作品として登場した。

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世界大百科事典(旧版)内の新日本文学の言及

【戦後文学】より

…1945年の日本の敗戦の結果,連合軍の占領下におかれたとはいえ表現の自由は戦中よりも著しく増大し,まず既成作家の復活が正宗白鳥,永井荷風,川端康成らの作品発表としてあらわれ,それより下の世代では昭和10年代作家の活動が坂口安吾,太宰治ら〈無頼(ぶらい)派〉の作品および高見順,伊藤整らの内省にみちた再出発としてあらわれた。しかし文学運動として注目されたのは,戦前のプロレタリア文学を継承する雑誌《新日本文学》を創刊した中野重治,佐多稲子,蔵原惟人らの活動,およびその運動を内在的に批判しながら個人の自由な開花をめざした《近代文学》派の批評活動であった。荒正人,平野謙らを含む後者は戦後の新文学を生みだす基盤をつくり,やがて野間宏,椎名麟三,武田泰淳らの登場をうながした。…

※「新日本文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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