富島村(読み)とみじまむら

日本歴史地名大系 「富島村」の解説

富島村
とみじまむら

[現在地名]長岡市富島町・新保にいぼ二丁目

長岡町北東郊外の平坦地にあたり、栃尾往来に沿って亀貝かめがい村の東に接続。南は宮下みやした村。北は亀貝村との間から福島ふくじま村へ道が通じ、村の北は猿橋さるはし川の源流八町はつちよう沼に接する。もと飛島とびじま村と称した。開発人は当村山岸家の先祖という。山岸家先祖は蒲原かんばら荒石あらいし(現西蒲原郡弥彦村)城主で、承久年中(一二一九―二二)に当主山岸式部信照は南朝方に味方して敗れ、ふもと(現弥彦村)で一村を開墾し、姓を延べて山岸村と称したが、永仁年中(一二九三―九九)故あって当主兵左衛門は一族のうち七人を従えて飛島へ来て、水利を計り一村を開発。足利将軍家の豪族大友右近太夫の一族五百川縫殿介が、貞治三年(一三六四)上杉憲顕の越後国下向の際に随従して飛島へ来て一城を構えたが、その築城に際して山岸氏は大いに功があり、この地の長に推挙されたという。


富島村
とびしまむら

[現在地名]大野市富島・新田しんでん

九頭竜くずりゆう川の東にあり、北西森目もりめ村、南は土打つちうち村。「飛島村」とも書く。古くはつるさわ村と称し、正保郷帳みえる。同帳によれば田方七七五石余・畠方五〇石。貞享二年(一六八五)の「越前地理指南」には鶴ヶ沢村とあるが、元禄郷帳に「富島村」とあるから、その頃に改称されたと思われる。初め福井藩領、正保二年(一六四五)松岡藩領、享保六年(一七二一)一二月松岡藩主松平宗昌の福井藩主襲封により再び福井藩領となった。

「福井藩役々勤務雑誌」(松平文庫)によると、村高のうち一四四・一八石が畑、免二ツ五分、一石六斗代、村高のほかに新田七〇石があり、この免二ツ五分、一石一斗代であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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