専誉(読み)せんよ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「専誉」の意味・わかりやすい解説

専誉
せんよ
(1530―1604)

安土(あづち)桃山時代の僧。真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の派祖。大和(やまと)(奈良県)長谷寺(はせでら)中興第1世。字(あざな)は宮賢。俗姓石垣氏。和泉(いずみ)(大阪府)の人。9歳で紀州(和歌山県)根来(ねごろ)山妙音院の玄誉(げんよ)につき、奈良、園城寺(おんじょうじ)、比叡山(ひえいざん)、醍醐寺(だいごじ)に遊学する。1584年(天正12)根来寺座主(ざす)となる。翌1585年3月、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の攻撃を受けて学徒は四散したが、1587年豊臣秀長(ひでなが)(羽柴秀長(はしばひでなが))の望みで長谷寺に移り、法相(ほっそう)宗を改めて新義真言宗の道場に定めた。同寺の諸堂宇の復興に努め、真言教学を再興したので、学徒が雲集するに至った。

宮坂宥勝 2017年8月21日]

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朝日日本歴史人物事典 「専誉」の解説

専誉

没年:慶長9.5.5(1604.6.2)
生年享禄3(1530)
戦国・江戸初期の新義真言宗の学僧,真言宗豊山派の開祖。和泉国大鳥郡(大阪府)の人,姓は石垣氏。生まれつき温和で考え深く,その性格を見抜いた父に伴われて9歳のとき根来山に上り,妙音院(小池坊)玄誉の弟子となる。以後,学問に専念して倦むことなく,25歳より南都で唯識華厳を学び,40歳のときに三井寺,比叡山で天台を修め,さらに醍醐で中性院流を受けて根来に帰る。直ちに妙音院頼玄に抜擢されて脇能化となり,小池坊で講義を開始。天正12(1584)年8月頼玄から譲られて能化となるが,客方の智積院玄宥を推す人々があったので,それも容れて共に能化職となる。同13年根来が戦火に罹ると学侶を伴って高野山逃れ,さらに醍醐・和泉国分寺へと移ったが,同15年大和の国守豊臣(羽柴)秀長に請われて大和の豊山・長谷寺に入った。当時長谷寺は興福寺末の法相宗の寺となっていたが,専誉は住坊を根来妙音院にちなんで小池坊中性院と名づけ,秀長の助けによって大いに堂宇を整備して講義を再開,全国より学徒が参集した。さらに豊臣秀吉,徳川家康の信頼を得て寺領とその安全を保障され,以後,豊山は学問の中心地として長く栄えることになった。<参考文献>隆慶編『豊山伝通記』中

(津田眞一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「専誉」の解説

専誉 せんよ

1530-1604 織豊時代の僧。
享禄(きょうろく)3年生まれ。真言宗豊山(ぶざん)派の祖。紀伊(きい)根来(ねごろ)寺(和歌山県)の玄誉(げんよ),頼玄(らいげん)に師事。天正(てんしょう)13年豊臣秀吉の根来攻めにあい,高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和(奈良県)長谷寺(はせでら)にはいり,同寺を新義真言宗の根本道場とした。慶長9年5月5日死去。75歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。俗姓は石垣。字(あざな)は宮賢(きゅうけん)。号は小池坊。

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世界大百科事典(旧版)内の専誉の言及

【新義真言宗】より

…頼瑜は加持身教主説を提唱して教学上の新風をうちたて,新義真言宗興隆の基礎を築いた。その後,根来寺は大いに繁栄したものの,1585年(天正13)豊臣秀吉の兵火のために灰燼(かいじん)に帰し,難を避けた妙音院専誉(1530‐1604),智積院玄宥(げんゆう)(1529‐1605)は,長谷寺,智積院をそれぞれ再興し,新義真言宗中興の祖となった。【山陰 加春夫】。…

【根来寺】より

…ことに僧兵を擁して威勢強く,近隣の戦国大名とも戦ったが,1585年(天正13)豊臣秀吉の焼討ちにあい,伽藍はほとんど壊滅した。このとき学頭の専誉(せんよ)は長谷寺に入り(豊山(ぶざん)派),玄宥(げんゆう)は京都に智積(ちしやく)院を建て(智山派),それぞれ法灯を継いだ。1623年(元和9)紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)は250石を寄進し,1707年(宝永4)護持院の隆光は将軍綱吉の許可を得て伽藍の修造を図り,97年(寛政9)蓮華院の法住によって大伝法堂再建意趣が作成され,1824年(文政7)完成した。…

【長谷寺】より

…1469年(文明1)8月の炎上とその再興にあたっては,大内氏の助援を得て李氏朝鮮に高麗船(こまぶね)を派遣し,高麗版《大蔵経》を入手している。1585年(天正13)紀州根来(ねごろ)寺が兵火に焼かれ,専誉(1530‐1604)が当寺に入寺してから,新義真言宗の根本道場となった。1612年(慶長17)徳川家康より朱印寺領300石が寄せられ,以後徳川氏の庇護厚く,1650年(慶安3)には本堂(観音堂),登廊,鐘楼などが再興された。…

※「専誉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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