射和寺跡(読み)いざわじあと

日本歴史地名大系 「射和寺跡」の解説

射和寺跡
いざわじあと

[現在地名]松阪市射和町

端亀山福眼寺あるいは福龍寺ともいった。創建年代は不明。射和寺文書(竹川欽也氏蔵)の天文二三年(一五五四)九月八日付福眼寺本堂勧進状によれば本尊薬師如来は行基の作とあるが、これは仮託にすぎない。「東西猶村邑人家連軒、依之地下為氏寺之間或号射和寺焉」とあることが注目され、ある時期、射和地下の氏寺となり、射和寺と号された。このことは寛正六年(一四六五)の福龍寺住持阿弥陀仏宛の十七人結衆寄進(射和寺文書。以下同じ)によって傍証される。

<資料は省略されています>

結衆は彼らの後生菩提を弔うために、その寄合料田(惣有田)を福龍寺に寄進しており、この頃当寺は「地下氏寺」にふさわしい性格をもった。これより六年前の長禄三年(一四五九)一一月八日には、やはり永阿弥陀仏宛に北畠教具袖判御教書が発給され、「福龍寺領寄進地等事、就新宝塔建立、御領掌不可有相違」と述べて、福龍寺新宝塔建立のため寺領寄進地などを安堵している。永阿弥陀仏の代に北畠氏と密接なつながりが生じ、先述の一七人結衆もこれと連動して地下寄合田を当寺に寄進したものであろう。北畠氏と結衆との間に被官関係を想定することも可能だろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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