射和村(読み)いざわむら

日本歴史地名大系 「射和村」の解説

射和村
いざわむら

[現在地名]松阪市射和町

櫛田くしだ川中流左岸にあり、宿場町でもあった。多気たき相可おうか(現多気町)とともに櫛田川流域の中心的な村。北は八太はつた村に接する。近世には松坂町と並ぶ商人町として発展した。伊勢白粉で知られる。「神宮雑例集」「神鳳鈔」には記載なく、伊勢神宮領として成立した徴証はない。しかし「公文抄」に弘安五年(一二八二)四月九日付の射和村刀禰職補任状が収載されている。

<資料は省略されています>

これによって、鎌倉期、宮司庁系列下の刀禰職が射和村に設定され、神役ならびに公役を勤仕していたことがわかる。室町期には、永享(一四二九―四一)頃、道後政所職事(神宮文庫蔵)に「射雑西世古」とみえ、西世古氏なる道後政所代官が設置されていた。道後(神三郡)政所代官は、勢田せた川・外城田ときだ川・櫛田川の流域に集中的に設置されており、当時の伊勢神宮にとって、神三郡内の最も重要な支配地域であった。「氏経卿引付」の文明一七年(一四八五)一一月日付内宮禰宜庁宣には

<資料は省略されています>

とみえ、かつて神宮が射和津料の収取権をもっていたが、北畠氏もしくは同氏被官がこれを奪取したこと、そして神宮がその返還を求めていることがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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