尊躰寺(読み)そんたいじ

日本歴史地名大系 「尊躰寺」の解説

尊躰寺
そんたいじ

[現在地名]甲府市城東一丁目

国道一四〇号(旧甲州道中)の東側にある。天尊躰てんそんたい寺ともいい、功徳山と号す。浄土宗本尊阿弥陀如来武田信虎により元柳もとやなぎ町に創建された。開山は忠蓮社弁誉霊印。大永元年(一五二一)建立で、当初源正げんしよう院と称したと伝えられるが(「浄土宗寺院由緒書」増上寺文書)、「甲斐国志」によれば大永三年に信虎の子竹松が七歳で夭折したため、誓願せいがん寺開山の弁誉を導師として葬儀を行い、当寺を建てて墓所としたという。寺名は竹松の戒名源澄(原証)院殿天誉尊躰智光童子(大童子)にちなむ。また同書には、禁中に置かれていた唐の善導大師筆の真向の阿弥陀三尊が信虎に伝えられ、大永年中に尊躰寺を起こして本尊としたとする、別の開創縁起が載る。本尊は現存しており、紺地に金泥による截金文様を描くことなどから、高麗仏画様式の舶来品と考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む