改訂新版 世界大百科事典 「小串氏」の意味・わかりやすい解説
小串氏 (おぐしうじ)
藤原姓河村氏の流という。承久の乱のとき小串五郎が幕軍に属し戦傷を負っている。鎌倉中期には近江国檜物荘地頭,末期には北条庶族常葉範貞の家臣となり,六波羅探題の検断頭人として,あるいは播磨などの守護代として権力をふるう。正中の変(1324)では,小串範行が多治見国長(後醍醐天皇方)を攻め自殺させた。また六波羅に仕えた小串範秀の和歌は《玉葉和歌集》《続千載和歌集》などに採られている。建武政権では武者所に小串秀信の名が見えるが,その後小串氏は足利氏に属すことになる。小串詮行・持行・成行・政行らは室町将軍の偏諱(へんき)を賜り奉公衆として活躍。小串貞秀も美濃に所領をもち,1487年(長享1)足利義尚の近江出陣に参加,90年(延徳2)足利義政の葬儀では走衆を務めた。範行の子孫の別流は伊勢国桑名郡猪飼の土豪として勢威を張ったが,小串詮通のとき織田信長に滅ぼされたという。この一族は多度神社の神官でもあった。
執筆者:青山 幹哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報