小丸山(読み)こまるやま

日本歴史地名大系 「小丸山」の解説

小丸山
こまるやま

[現在地名]福山市丸之内一丁目

福山城の北部搦手にあたる丘陵をいう。水野勝成築城の際、幕府の元和偃武の政策で、搦手には防備施設としての櫓の建築が許されなかったため、自然の丘陵を残して櫓に擬したのがこの小丸山とまつ山の丘陵であった。松山にはのち阿部氏時代に勇鷹いさたか神社(阿部神社)が奉祀されるが、小丸山のほうは雑木林竹藪となっていた。

慶応四年(一八六八)正月、福山藩は先の長州征伐先鋒として戦ったため城下は薩長軍に囲まれた。城主阿部正方は前年の暮れに死亡していたが福山藩ではその死を秘し、小丸山に仮埋葬していた。薩長軍との戦闘は小丸山北麓一帯で展開したが、仮墓所を死守せんとする少年隊の戦いは戦闘のなかでも最も激しいものであったといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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