小宮村(読み)こみやむら

日本歴史地名大系 「小宮村」の解説

小宮村
こみやむら

[現在地名]飯舘村小宮

新田にいだ川の支流北東流する飯樋いいとい川の流域に位置し、北東は枝郷沼平ぬまだいら村、北は関沢せきさわ村。明暦二年(一六五六)同村から分村(相馬藩政史)。天保郷帳には「古者 小宮村・沼平村弐ケ村」と注記される。応永二年(一三九五)一〇月二一日の相馬憲胤譲状(相馬文書)に「南草野村内小宮在家狩倉山共仁」とみえ、鎌倉寿福じゆふく寺に預け置かれていた福岡ふくおか(現小高町)などや当地の在家・狩倉山が憲胤の子息胤弘に譲られているが、当時の小宮は関沢とともに南草野みなみくさの村と称されていたと思われる。明暦二年の高四四石余(相馬藩政史)。元禄郷帳によると高三五石余、ほかに沼平村五石余がみえる。安永三年(一七七四)の高一三五石余・免六ツ二分、ほかに新田若干と夏江(現在の字夏井か)分一七石余(ほかに新田若干)萱苅庭かやかりにわ分二二石余(ほかに新田一三石余)がある(「山中郷年貢皆済目録」飯舘村史)


小宮村
こみやむら

[現在地名]松本市島内 小宮

あずさ川と奈良井ならい川の間にある平地の村である。

天正検地によると二〇六石六斗九升七合と高付けされている。「信府統記」には享保九年(一七二四)当時の石高二四五石五升五合九勺とある。寛文年間(一六六一―七三)の田地一三町一段五畝二八歩、畑地五町一段九歩。慶安検地では、本百姓一四、半百姓二、門百姓九。比較的早く開けた村で中世において小宮氏を名乗る武士も出て、府中小笠原家の幕下となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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