小家村(読み)こいえむら

日本歴史地名大系 「小家村」の解説

小家村
こいえむら

[現在地名]立田村立田 小家

東は小茂井こもい村、南は富安とみやす村に接し、西は木曾川に臨む寛永元年(一六二四)開墾小村。「徇行記」によれば、概高五六二石余は一円蔵入地。田は二二町九反九畝余、畑は一〇町四反八畝余。「寛文覚書」に戸数三二、人数一五五とある。「徇行記」は「農屋ハ村ノ中央ニ建ナラヒ、竹木ナクシテ村立悪シク貧村ナリ、鵜戸川北ヨリ流レ田畝悉ク畔田ナリ、借船ハ四十艘ホトアリテ農事ノ用ヲ足セリ、又農事ノ余力ニハ漁業ヲ以テ生産ノ助ケトス、卑湿ノ地ニテ水多ク稲梁敗傷セリ」と記す。


小家村
おいえむら

[現在地名]龍神村小家

清冷せいれい(八七七・九メートル)の東麓、日高川沿いの山村。南は甲斐野川かいのがわ村、北は串本くしもと(現美山村)。村内で小家谷・寒川そうがわ谷が日高川に合し、それら谷間に集落は点在する。慶長検地高目録によれば、村高五八石余、小物成六斗七升四合。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」では田畑一四町七反余、村高六一石余、家数一七で内訳は本役・半役・無役各五、庄屋・年寄各一、人数八一、牛五、鉄砲五。


小家村
こいえむら

[現在地名]七宝町鷹居たかい

東は伊麦いむぎ村に接する。「徇行記」によれば、概高六五六石余のうち一六三石余は藩士四人の給知で、田は二五町四反七畝余、畑は八町二反一畝余。「寛文覚書」に戸数四〇、人数一九五とある。村柄を「徇行記」は「東ニ小切戸井筋流レ、西ニハ大江筋ナカレ其間ニ村落アリ、貧村ニテ小百姓ハカリ也、近年頽家出来他村ヘ越高ニナリ、加地子米ヲ多ク出スト也、農隙ニハ手簀ヲ編ミ生産ノ助トス」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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