小宿村(読み)こやどむら

日本歴史地名大系 「小宿村」の解説

小宿村
こやどむら

[現在地名]長野原町応桑おうくわ

袋倉ふくろぐら(現嬬恋村)の一部を挟んで古森ふるもり村の西南にある。西方を吾妻川支流小宿川が北流し、小宿・小代こよなどの集落がある。建久四年(一一九三)の源頼朝三原みはら野狩の際に、小代に歩卒・勢子の宿が置かれて小宿と改めたと伝える。

万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写によると高七三石余。寛文郷帳では田方一四石余・畑方五八石余。寛文三年(一六六三)の沼田藩領新検地控によると高三三二石余で鎌原縫殿の給分。貞享二年(一六八五)の沼田藩領再検地控では一一三石余。元禄郷帳では幕府領。江戸後期には家数一三、旗本古田領(御改革組合村高帳)。貞享三年の検地帳(「長野原町誌」所収)によると田方一九石余・畑方九三石余。


小宿村
こしくむら

[現在地名]名瀬市小宿こしゆく

朝仁あさん村の西にあり、集落は入江に臨む。小宿大こしゆくおお川が北流する。名瀬間切名瀬方のうちで、コゥシィクともいう。ぐすく古里ふさと大浜おおはま大津ふーつ塩田しゆだ大道ふみちなどの地名がある。正保琉球国絵図に「名瀬間切之内小敷村」とみえるのが当村で、東の沿岸の村と結ぶ道、西のやや内陸部に入った道が記されるほか、北西の浜方に「あやう崎」・立瀬・船瀬がみられる。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳にも奈瀬間切のうちとして「小敷村」とある。正徳二年(一七一二)から元文三年(一七三八)まで龍郷たじご方の田畑佐文仁が開発した新田のうちに当村が含まれる(奄美大島史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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