小山田 二郎(読み)オヤマダ ジロウ

20世紀日本人名事典 「小山田 二郎」の解説

小山田 二郎
オヤマダ ジロウ

昭和・平成期の洋画家



生年
大正3(1914)年1月1日

没年
平成3(1991)年7月26日

出生地
中国・安東県(現・丹東)

学歴〔年〕
帝国美術専門学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科〔昭和11年〕中退

経歴
生後すぐ祖父母に引き取られ、東京・根岸で育つ。その後、栃木県大田原市に移る。絵画に熱中するが父の反対で帝国美専図案科に入学、のち穏やかに洋画科に転部。美専中退後、グループ“アニマ”に参加。昭和12年独立美術展に出品。18〜23年大日本印刷に勤務。27年瀧口修造に認められ、タケミヤ画廊個展を開く。その後、30年ブルックリン国際展、31年サンパウロ・ビエンナーレ展、アメリカ水彩60年展に出品。34年自由美術協会退会。47年妻子を残して家出、別の女性と同居。52年より毎年新作展を開催。62年頃唇の潰瘍で手術を受ける。超現実的幻想派の画家といわれ、人物像のグワッシュ(水彩画)に特色がある。作品に「いやなやつ」「野暮人」「鳥女」「ピエタ」「マリヤ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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