20世紀日本人名事典 「小山薫」の解説
小山 薫
コヤマ カオル
- 生年
- 明治23(1890)年8月28日
- 没年
- 昭和13(1938)年8月29日
- 出生地
- 長野県更級郡雨宮県村(現・千曲市)
- 経歴
- 長野県雨宮県村で靴職人として生計を立てる傍ら、信濃同仁会に加わって融和運動を推進。しかし、同会の運動に限界を感じ、唯一の長野県人として大正11年3月に京都で開催された全国水平社の創立大会に出席した。以後、同県における部落解放運動の先駆者として活躍し、13年には雨宮水平社を結成、次いで長野県水平社の執行委員となった。15年長野県屋代の村民を煽って警官を襲撃したとして懲役6ケ月の判決を受けるが、これに屈せず出獄後も県内各地で急進的な差別糾弾運動を展開。しかし、のちにはその過激な運動が問題となり、県水平社から除名された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報