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小島省斎 こじま しょうさい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小島省斎 こじま-しょうさい

1804-1884 江戸後期-明治時代の儒者。
文化元年8月11日生まれ。京都で猪飼敬所(いかい-けいしょ)にまなぶ。弘化(こうか)2年丹波(たんば)柏原(かいばら)藩(兵庫県)につかえ,藩政改革を進言した。嘉永(かえい)3年藩校又新館創設につくす。文久3年側用人となり,藩政に参画。藩論を勤王にみちびいた。明治17年6月6日死去。81歳。丹波氷上郡(兵庫県)出身。名は慎。字(あざな)は思之。通称は四郎兵衛,忠太。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

小島省斎

没年:明治17.6.6(1884)
生年:文化1.8.11(1804.9.14)
幕末維新期の漢学者。丹波(兵庫県)氷上の人。名は慎,駟,字は思之,伯輿,通称は四郎兵衛,忠太。省斎と号す。23歳のとき京都に出て,猪飼敬所に師事。帰郷後,丹波柏原藩に仕え,藩主の信用篤く,藩政改革に大きく寄与した。特に,幕末動乱のなか,藩の財政を刷新し,累積した借金の整理を行うとともに,佐幕か勤王かで揺れていた藩の方針を勤王に取りまとめたのも,省斎の進言であった。学問は,初め折衷考証学であったが,のちに朱子学を信奉。詩文を末技として経学に打ち込み,子弟の教育に熱心であった。<参考文献>松井拳『兜山余芳』

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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