デジタル大辞泉
「猪飼敬所」の意味・読み・例文・類語
いがい‐けいしょ〔ゐがひ‐〕【猪飼敬所】
[1761~1845]江戸後期の儒学者。京都の人。名は彦博、字は希文。経学を主とする折衷学派に属した。著「論孟考文」「孟子考文」など。
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いがい‐けいしょ【猪飼敬所】
- 江戸後期の折衷学派の儒者。京都の人。名は彦博(げんぱく)。字は文卿、通称は三郎右衛門、安治郎。巖垣龍渓に学ぶ。天保期の、京都第一の経学者。伊勢の藤堂氏ら諸侯に招かれる。三礼の学を重んじた。主著「論孟考文」「病間一適」「西河折妄」など。弘化二年(一八四五)没。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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猪飼敬所
いがいけいしょ
(1761―1845)
江戸後期の儒学者。古注学者とされる。名は彦博(よしひろ)、字(あざな)は文卿(ぶんけい)、敬所は号。初名は安治郎、通称は三郎右衛門。近江(おうみ)(滋賀県)の人。初め手島堵庵(てじまとあん)に就いて心学を修め、のち儒学に転じ、京都で講席を開いた。1836年(天保7)津藩(三重県)に招かれ、賓師(ひんし)として好遇された。弘化(こうか)2年11月10日、85歳で没した。朱子の新注を不満とし、四書を中心とする経典を古注で読み、さらに『史記』『漢書(かんじょ)』の史書から中国古代の思想家である諸子の書物まで広く窮め、『論孟(ろんもう)考文』『荀子(じゅんし)補遺』『管子補正』などの補注、校正の多くの書を著した。晩年まで心学派の道義的実践学を重んじていたが、古典の学究としての業績は中国の学者を抜いて今日にも有益なものが多く、自らもそれを誇りとしていた。
[金谷 治 2016年4月18日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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猪飼敬所 いかい-けいしょ
1761-1845 江戸時代中期-後期の儒者。
宝暦11年3月22日生まれ。手島堵庵(とあん)に心学をまなび,儒学に転じて古注学の岩垣竜渓の門にはいる。京都,淡路洲本(すもと),但馬(たじま)豊岡など各地で講説。天保(てんぽう)2年藤堂高猷(たかゆき)にまねかれて伊勢(いせ)津藩儒となる。弘化(こうか)2年11月10日死去。85歳。京都出身。名は彦博(よしひろ)。字(あざな)は文卿,希文。著作に「論孟考文」「管子補正」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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猪飼敬所【いかいけいしょ】
江戸後期の儒学者,折衷学派。名は彦博。手島堵庵に心学を学び,のち薩【た】(さった)藁川(元雌),岩垣竜渓らの門に入る。京で学を講じた。晩年は伊勢(いせ)津藩に招かれ,同地で客死。清朝考証学の影響を受け,礼学,天文,数学などに広く通じた。著書《論語考文》《西河折妄(せいがせつぼう)》《太史公律歴天官三書管窺(かんき)》など。
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猪飼敬所 (いかいけいしょ)
生年月日:1761年3月22日
江戸時代中期;後期の儒学者
1845年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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