江戸後期の儒学者。古注学者とされる。名は彦博(よしひろ)、字(あざな)は文卿(ぶんけい)、敬所は号。初名は安治郎、通称は三郎右衛門。近江(おうみ)(滋賀県)の人。初め手島堵庵(てじまとあん)に就いて心学を修め、のち儒学に転じ、京都で講席を開いた。1836年(天保7)津藩(三重県)に招かれ、賓師(ひんし)として好遇された。弘化(こうか)2年11月10日、85歳で没した。朱子の新注を不満とし、四書を中心とする経典を古注で読み、さらに『史記』『漢書(かんじょ)』の史書から中国古代の思想家である諸子の書物まで広く窮め、『論孟(ろんもう)考文』『荀子(じゅんし)補遺』『管子補正』などの補注、校正の多くの書を著した。晩年まで心学派の道義的実践学を重んじていたが、古典の学究としての業績は中国の学者を抜いて今日にも有益なものが多く、自らもそれを誇りとしていた。
[金谷 治 2016年4月18日]
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