日本歴史地名大系 「小引村」の解説 小引村こびきむら 東京都:八王子市小引村[現在地名]八王子市小比企町(こびきまち)・緑町(みどりちよう)・みなみ野(みなみの)五―六丁目湯殿(ゆどの)川中流域の両岸にわたって立地、北に子安(こやす)丘陵、南に小比企丘陵がある。南は大船(おおふね)村。横沢(よこさわ)村大悲願(だいひがん)寺(現あきる野市)蔵の大般若経(貞治年中書写)の応永二二年(一四一五)の修補奥書に多西(たさい)郡横山舟木田新(よこやまふなきたしん)庄小比丘郷とあるという(武蔵名勝図会)。田園簿に小引村とみえ、田五七石余・畑二三八石余で幕府領、ほかに万福(まんぷく)寺領三石。元禄郷帳でも小引村で、高五一六石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳には小比企村とあり、旗本長沢領高五一三石余。以後、幕末まで同領と考えられる。元文二年(一七三七)の村明細帳(磯沼家文書)では家数一二七・人数六一四、馬二七。寛延三年(一七五〇)の納米五八石余・納永九二貫四六八文、明和七年(一七七〇)には納米五四石余(代永五九貫三七二文)・納永八二貫六五五文で、安永九年(一七八〇)には田畑合永一一八貫六四四文、天明六年(一七八六)には同一六九貫四〇七文であった(「年貢皆済目録」八王子市史)。 小引村こびきむら 長崎県:平戸市小引村[現在地名]平戸市木引町(こひきちよう)平戸村の南西に位置し、西部で神曾根(こうぞね)川が古江(ふるえ)浦に注ぐ。木引とも記される。中国から帰った栄西が最初に上陸した地と伝える。南に川内(かわち)峠があり、大野(おおの)村・川内浦方面に通じる。江戸時代は平戸村のうちとして扱われる場合があり、慶長国絵図に小引村とみえ、高二九五石余。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録でも同様で、正保国絵図では「木引村」とする。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では平戸村内に木引免がみえ、宇戸(うと)免・下山(しもやま)免などの地名が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by