日本歴史地名大系 「小房村」の解説 小房村おぶさむら 岡山県:英田郡作東町小房村[現在地名]作東町小房小野(おの)村の北西に位置する。天文一四年(一五四五)二月吉日の広峯(ひろみね)神社(現兵庫県姫路市)社家肥塚氏の壇那村付帳(肥塚家文書)に「をふさ」とみえる。正保郷帳に村名がみえ、田一一八石余・畑四二石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高六〇石余・開高一二石余、村位は下。津山藩森氏断絶後の領主の変遷は鷺巣(さぎす)村と同様。「東作誌」によれば毛付高一八六石余、戸数三五、男八〇・女六四。山林三町三反余の運上銀一五匁余。名産に小房山から出る小房砥石をあげる。 小房村おぶさむら 和歌山県:西牟婁郡日置川町小房村[現在地名]日置川町小房日置川が大きく湾曲するところに位置し、北と西および南西は玉伝(たまで)村、東と南東は市鹿野(いちかの)村に接する。「続風土記」に「遠夫左は於夫左にて大の義なるへし」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報