日本歴史地名大系 「小方村」の解説
小方村
おがたむら
とある「おほかた」は当地のことであろう。建長五年(一二五三)四月日付の新日吉小五月流鏑馬定文案の紙背に記された伊都岐島社社領証文目録(新出厳島文書)に「小方」とみえ、寿永三年(一一八四)頃から厳島神社領であった。なお康応元年(一三八九)の「鹿苑院殿厳島詣記」には「おかた」、「陰徳太平記」には「小潟」、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳には「おかたはた村」、同六年の上田家知行目録(上田家文書)には「岡田波田村」とみえる。「芸藩通志」は「古は小方畑村と称せしと云、緒方とも書けり」と記す。
中世は小方郷と称し、永禄三年(一五六〇)一〇月八日付の「閥閲録」所収河野与三左衛門家文書に「小方之内小瀬」とあり、その郷域は油見・大竹から周防国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報